*mimiのビーズ色の小部屋(パリ日和)*
2007-06-07T23:20:30+09:00
mimi-paris
mimiが地球上のいろんな場所で感じた日々の出来事いろいろ
Excite Blog
サンフランシスコのさくらまつり
http://mimiparis.exblog.jp/5551528/
2007-06-04T23:18:00+09:00
2007-06-07T23:20:30+09:00
2007-06-04T23:18:02+09:00
mimi-paris
バカンス、旅行
パリから帰国して早1年半が過ぎました。早い!早すぎる!!
パリでの毎日が未だに過去の出来事となりきらないのですが、今回は初の渡米を果たし、2007年サンフランシスコさくらまつりに着物ショーの参加者として行って来ました。
4月22日。前日のどたばた着物ショーを終え、この日は楽しいフロートに乗ってのパレードでした。台車に乗っているのは着物ショーでモデルをやった人だけでなく、裏方で走り回った人や観客として同行した人までが自慢のお着物を身に纏って参加しました。
ピンクの着物を着ているのが今回同行した全日本きものの女王。周りにいるのが現地のいろんな女王たち。
彼はみんなが乗っているフロートを製作したひと。「キミたちがぼくの作品に乗るのかい?」と声をかけてきました。
まんなかにいる男性!ハリウッド俳優ではなくなんとサンフランシスコの市長さんです。スター並みのハンサム☆&取材陣も女王たちもその他もスターを間近にしたような興奮ぶりでした。
これは着物ショーの舞台裏。今回もベルギーのときと同様に現地の方にもモデルとして参加してもらいました。
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ビーズ色の小部屋 le 16 decembre 2005
http://mimiparis.exblog.jp/2386514/
2005-12-18T06:44:30+09:00
2005-12-18T07:32:19+09:00
2005-12-18T06:44:30+09:00
mimi-paris
パリ〜学校
最後の試験を午前中に終了し午後は修了証書授与式+パーティー。
夏休み前の修了式は見送り側だったが今回は卒業側として出席する。
フレリモン氏から証書を受け取るガビ
授与式後のパーティーではシャンパンやパイ、ケーキが振舞われる。
パリでの生活も終わりに近づいてきた。
この8ヶ月間がなぜか長く感じたのは
ヒマだったから
じゃなくて
本来なら数年かけて得られるものや行ける場所にこの間凝縮してできたからだと思う。
「日本に帰ったら風景が変わってたりして・・・」
「新しいものがいっぱい出てるだろうな・・・」
「家族や友人に会ったらお互いすごく懐かしく思うだろうな・・・」
と思っているのは私だけなのだろう。
とりあえず mimiのパリ日記はここまで。
この日記を読んでくださった方々にたくさんのありがとうと、
これからパリに留学を考えている人たちの道しるべになれたら嬉しく思います。
スタージュ、現像とお世話になったSutudio Falourのマダム方。
Special thanks! to TOMOYO.]]>
ビーズ色の小部屋 le 9 decemble, 2005
http://mimiparis.exblog.jp/2342918/
2005-12-10T04:06:48+09:00
2005-12-10T07:20:23+09:00
2005-12-10T04:06:48+09:00
mimi-paris
パリ生活
各ショップ、各通りはそれぞれ思考を凝らしたデコレーションできらめいている。
ある情報誌で生活困難な人々のための無料配給をしている組織があることを知った。
寒空の下家もなく食べることもできない人々に食事や宿泊所を提供する。
そのスタッフたちは全てボランティアで、自分たちの仕事終了後、享受者のお世話を深夜まで続けるのだという。
こういった奉仕活動があるということは少し前から知っていたが、今改めて何かをズシンと感じているのはここで出会った一人の外国人のためだ。
彼は私の前ではある程度収入もあり生活もきちんとできている風を装っているが、この地での移民に対しての風当たりの強さは日本人の私が想像している程度ではないのだと思う。
彼は自分の過去について、例えば、どうしてパリで生活しているのか、現在に至るまでにどのようなことをしてきたのかとか、彼の母国での思い出等はほとんど私に話さない。
でも最近、自分はあるセンターでときどきボランティア活動をしているのだと話してくれた。
なぜボランティアをしているのかと尋ねてみた。
彼はそこそこ収入を得ていたが、決して満足なほどではないと感じていたし、ただでさえ忙しそうだったから。
すると彼は
「以前そこに助けてもらっていたからだよ」
と教えてくれた。
そういえば初めて無料配給サービスについて聞いたのは彼からだった。
そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
でももし彼が以前このサービスの享受者側で、自力で生活している今、今度はそこで活動しているのだとしたら、
彼の目に私はどのように映っているのか。
物価の高いフランスで、自分では極貧生活だと思っていても、良い部屋に住み、毎日服をとっかえひっかえしてメークアップスクールに留学しに来ている日本人。。。
ブランドショップに目を輝かせ、暇があると美術館だお城だと観光して歩き、その傍らにたたずむ浮浪者たちを見ないようにしている。。。
ところで、帰国を目前に控えている私は、ここのところパリでの生活に少し疲れを感じていた。
ここで交流してきた人たちは、私自身が好きだからではなく、私が持っているモノを利用したいだけなのではないかと考え始めていたからだ。
日本人から外国人から次から次へと要求されながら
「日本にいたらこんなことはないのに」
と、早く帰りたい気持ちが強くなっていた。
そんなときにこの記事を読んだ。
なんとなく恥ずかしい気持ちになった。
よりリッチな生活、より高級な品々を常に望んでいるのは日本人だけではないが、「他人(ひと)より良いモノ」を得ることばかりを願っている私も同類だ。
ただ、今の私では寄付をすることもこの奉仕活動に参加することもできないが、間接的にでも私のキャパシティで力添えできたらと思う。
「偽りの貧困者に食物を提供してもかまわない。
真の貧困者への援助を断ってしまうよりは・・・」
彼らのように 大きなココロを持てますように
今年初めて本当のクリスマスの意味を持つ地でその日を過ごす。
「ノエル」とは、日々満たされている人たちが特別張り切って愛を語り合う日でも特別奮発して食事をする日でもなく、本来はきっと、何かが冷え切っている人々のカラダの中に小さな灯りをともすことなのではないだろうか。
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ビーズ色の小部屋 le 10 novembre 2005
http://mimiparis.exblog.jp/2171320/
2005-11-11T03:36:44+09:00
2005-11-13T02:12:48+09:00
2005-11-11T03:35:32+09:00
mimi-paris
パリ生活
モン・サン・ミシェル生まれのお花が冬枯れのパリの部屋を少し華やかにしてくれた。
今月からフランスも冬時間となり日本との時差は8時間となる。
日の出は遅く、日の入り後はまだ開店中の店々にライトを灯させる。
だいぶ寒くなってきたが道路が凍るまでは自転車を使いたい。
学校に行くときはメーク道具が多いので無理だが美容院に働きに行くときは自転車。
でも美容院が終わる19:00頃にはすでにとっぷり日が暮れている。
ナツキから自転車を譲り受けたとき一緒にライトももらったがなぜか電気がつかない。
仕方がないのでノーライトで走るのだが、以前通っていたコンコルドの大交差点はとっても危険なため、少し歩かなければならないがルーブル美術館そばの橋を渡ってセーヌ川沿いを帰ってみることにした。
うん、この道路をまっすぐエッフェル塔の方角に向かえば安全みたい。
コンコルドを通っていたときは廃棄ガスと騒音でまわりを見る余裕などなかったが、きちんと自転車道が整備されているセーヌ川沿いを走りながらライトアップされたパリがとても綺麗なことに気がついた。
夏場は22:00頃まで明るく夜中に出歩くこともあまりしなかったので夜景を楽しめずにいた。
早くに暗くのもそう悪くないかなと思い直し、心地よい風に吹かれながら家までの道を走った。
Hotel de Ville (オテル・ド・ビル) 前にて。
ルーブル美術館前の橋の上から。
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ビーズ色の小部屋 le 24 octoble, 2005
http://mimiparis.exblog.jp/2060670/
2005-10-25T01:34:40+09:00
2005-10-25T01:33:00+09:00
2005-10-25T01:33:00+09:00
mimi-paris
パリ生活
美容院で働き始めて約1ヶ月が経った。
一番の問題はシャンプー中に客を濡らしてしまうことよりやっぱり言葉である。
予約の電話時に名前を尋ねても聞き取れないときは向こうから親切にアルファベットを教えてくれる。
しかしフランス語読みのアルファベットなためいつも正しく書き取れない。
アーベーツェーデーエー・・・
くらいまでしか知識がないのだ。
これはまずいと思いフランス語発音のアルファベットを勉強してみる。
でも実際電話口で言われると英語発音とごちゃまぜになってしまう。
慣れるのに時間がかかりそうだ・・・
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ビーズ色の小部屋 de 8 octoble a 9 octoble, 2005
http://mimiparis.exblog.jp/1980093/
2005-10-13T06:53:00+09:00
2007-02-18T14:05:16+09:00
2005-10-13T06:53:44+09:00
mimi-paris
パリ〜学校
秋晴れの爽やかな週末
パリの西の外れにある Les Pavillons de Bercy (レ・パビロン・ド・ベルシー)というイベント会場で SAMURAI JAPON 2005 は行われた。
日本からやってくる団体に混じってイベントに参加するのは6月にベルギーで開催された着物ショーに次いで2度目となる。
今回はメークチームとして参加。
このイベントの催しのひとつであるメークアップショーを取り仕切る JUN MAKEUP が主催会社となっていて、メークアップアーティストとして参加できる、その仕事の記録がもらえるということで私とクラスメイトのcocoがパリから参加することに決めた。
参加が決まった9月のうちから宣伝やモデルの依頼代行、ボランティア探し、翻訳等と仕事を任されていた。
美容院での仕事も始めたところだったためハードな毎日を過ごしながらも当日には全てを整えることができた。
そして前日打ち合わせ。
そのときに受け取った資料の中の「パリ事務局」のところに私の名前が!?
どうりで忙しいと思った。
会場はすばらしくかわいらしい場所。
以前はワイン工場だった場所に遊園地のような装飾を施してイベント会場としている。
しかしなぜかここは普段は閉めていて入れないらしい。
パリジェンヌでも入ったことがない人もいるんじゃないだろうか。
そこに SAMURAI JAPON 2005 としてどなたでも無料で会場内に入れ、全てのショーもただでみられるというステキな2日間。
あなたにもぜひみていただきたい!!
それなのに最近写真を撮ることをすっかりなまけていたため、気づいたときにはイベントは終了し私は会場の外に出てしまっていました・・・
ということでご想像ください。
ステージでは主に日本の伝統芸能が行われる。メークショーはトップメークアップアーティストの一條純子さんを筆頭にステージ上でフランス人モデルに華やかにメークやヘアをつくりあげるというもの。
メークアップアーティストとして参加といっても裏でモデルにメークするだけだと思っていたら私たちもステージでメークをするのだと前日に初めて知った。
メークアップアーティストは表舞台に出ることはないのが常なので正直面食らったがこれは確かに良い経験。
私は「日本の花火」と題する場面でステージに立つ。
しかし本番直前まできものの着付チームに回り、ばたばたとイメージも鮮明でないままステージに立ったため、誰かが手近に置いた材料やコスメだけを使ってそばに座っていたモデルにパフォーマンスしていくこととなった。
仕上がりは、、、う~ん いまいち。。。
その後もショー以外の時間はもっぱら着付担当となった。
自分への着付は完璧になっていたがひとに着付けるということを長らくやっていなかったためだいぶ技術が粗雑になっていた。
それでも時間のない中でモデルに着付けたり、来場者にきものを着せてあげたり、モデルを引き受けてくれたクラスメイトのクリスティーナが初めて自分のきもの姿をみて喜んでいたとき改めて着付を習っていて良かったと思った。
もうひとつ、喜んだひとたちがいた。
お客様への催しとしてきものを着せてあげる傍ら、メークコーナーも設けていたのだが、なぜかチビッ子たちに大人気。
「タイガーを描いて!」
「ちょうちょを描いて!」
といつのまにかフェースペインティングコーナーに!?
フェースペインティングは夏休み前のスタージュで経験済みだったのでひとりひとりほっぺに絵を描いてあげる。
自分の顔をみて歓声を上げてるこどもたちにこちらが満足してしまった。
。。。。。
イベントが終了し一緒に働いた参加者たちとのディナーに私とcocoも招かれた。
このときメークチームのみんなと初めてゆっくり話すことができた。
参加した女の子たちはJUN MAKEUPの社員以外にもまだ学生だというひとたちも数人来ていた。
現地から簡単に参加できる私やcocoと違ってはるばるやってきた彼女たちの意気込みに感服。
お互いに今後の抱負を語り合い、そして別れた。
同じ志を持つ彼女たちといつかどこかでまた会えるのもそう遠くない未来かもしれない。
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ビーズ色の小部屋 le 2 octoble 2005
http://mimiparis.exblog.jp/1910713/
2005-10-03T04:48:05+09:00
2005-10-03T04:47:28+09:00
2005-10-03T04:47:28+09:00
mimi-paris
パリ〜学校
1ヶ月ほど前にやっとの思いでSecurite Social(セキュリテ・ソシアル)という社会保障のようなものに加入できたので仕事を探し始めたところ、運よく美容師の求人が!
美容師免許は持っていないけれどまったく関係ない勉強をしているわけじゃないし頼み込んで雇ってもらおうと意気込んで面接に行った。
一度は断られたがその後向こうから連絡があり受付要員として雇ってもらえることに!!
とりあえず仕事はみつかった。
ここでどうしても仕事の経験をしていきたかった。
留学先でお勉強だけして帰国するのは簡単。
でもそこでさらに多くの経験をするためにどのような手続きがあるのかやってみることでもっとその国で生活したという実感がでるのではと思う。
そして次の難関は許可証の申請。
ここでうまいこと来年分の許可証も得られれば学生としてではなく社会人としてパリで生活できるようになる。
許可証申請場所に提出する書類は会社からのもの以外は全てきれいに揃っている。
長期で働きたいと言い張って提出書類に労働期間を長く書いてもらおうと考えていた。
結果から言うと私は学校からのスタージュ証明書で働くことになった。
美容院のオーナーと話をしたとき、彼女は私がスタージュ(研修)として美容院で実習するというかたちを取れることを知った。
この証明書があれば美容院側も紛れもなく合法で雇えるということでオーナーは喜んでいた。
私もその日のうちにヤンに証明書を発行してもらいそれで事は済んだ。
かくして私の野望は実現できなくなった。
雇う側も許可証については頭を悩ませているようだ。
とはいえ私は望みどおり仕事を手に入れた。
毎週火、水、木と終日働くので学校には行けないけれど、後半の3ヶ月が始まって講義は4月にやった内容とほぼ同じ。
同じ内容を繰り返す毎日の講義全てに出席しているよりも外に出て別な経験ができるほうがいい。
美容院での仕事内容は掃除と電話応対。
でも働き始めて2日目にシャンプーを教わった。
3日目にカーラーを巻かせてもらえた。
日本人用の美容院なので日本語で応対することが多いがなぜかたまにフランス人もいらっしゃる。
フランス語できませんとは言っていられないので知っている表現を駆使しての応対。
またもや言葉が一番の問題点となっている。
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ビーズ色の小部屋 le 26 septemble, 2005
http://mimiparis.exblog.jp/1869202/
2005-09-27T05:04:13+09:00
2005-09-27T05:03:39+09:00
2005-09-27T05:03:39+09:00
mimi-paris
パリ〜学校
バイトのため学校にこれない日とSAMURAI JAPONのチラシを置いてもらいたいと伝えるため気合を入れて9:30に学校到着。
そう、明日からようやく手に入れた美容院でのアルバイト。
毎週火、水、木と終日働くため学校には行けない。
でも美容院での経験はメークと全く無関係ではないと説明して欠席をなんとか認めてもらおうと意気込んでいた。
夏休み前よりも多少上達した英語とフランス語でヤンとシルベンヌにきちんと説明でき、この欠席を了解してもらえた。
第一関門突破。
初日はニューカマーたちへの説明から始まった。
たくさんのニューカマーたちが真新しいメーク道具を手に注意深くフレリモンやヤンの言葉に耳を傾けている。
旧クラスメイトたちはひとりも来ていない。
・・・また間違えたか
今日は来なくてもよかったのかも・・・
だいじょうぶでした。
説明が終わるとフレリモンによるデモンストレーション、午後は実践といつもどおりのメニューに移った。
全員ではないけれど旧クラスメイトたちもひとりふたりとやってきた。
今日の私のパートナーはロシア人のマリーナ。
英語もフランス語もほとんど理解できない。
去る4月、あんなに何にもできなかった私もいつのまにかあれこれと教える側になっていたことに改めて今日気づく。
安穏と日がな一日大半を寝て過ごした日々は過ぎ、忙しい日々が始まりそうな予感。]]>
ビーズ色の小部屋 le 24 septemble, 2005
http://mimiparis.exblog.jp/1861997/
2005-09-26T06:59:52+09:00
2005-09-26T06:58:57+09:00
2005-09-26T06:58:57+09:00
mimi-paris
パリ〜学校
今日はウェディングメークのお仕事。
花嫁さんにマッサージ&メークで20ユーロ
その他花嫁母、妹、お友達 各10ユーロずついただく。
なぜこの仕事が舞い込んできたかというと、初めてのスタージュのときフォトスタジオでメークをしてあげた子が結婚するという。そのこが私にウェディングメークを依頼してきた。
そのときは依頼を受けただけで嬉しかったので無料でやってあげたが、その後私をレストランに招待してくれたり映画に連れて行ってくれたりと却って気をつかわせてしまった。
これはきちんと仕事をした時点で料金を取るべきだったなと反省していたところへ彼女の知り合いが口コミで私のことを聞きそのこのウェディングメークも担当することになったのだ。。。
花嫁さんはシルビー。
フランス人だがイギリスに留学していたので英語もぺらぺらだ。
あまり英語がぺらぺらでもこちらが理解しきれなかったりしてはずかしいのでこれもある意味考えもの・・・
9:30 シルビー宅へ到着、メーク道具を準備する。
各人30分ずつとシルビーには1時間の時間を取っていたが、だいたいお式当日は花嫁さんはもとよりまわりのひとたちもぱたぱたと動き回っているのでそのうち時間がたりなくなる。
結局1,2時間待ち時間で 12:30 ようやくシルビーがメークのいすに座ってくれた。
出発時間は13:00!?
シルビーだけならともかくシルビー妹もこれから、さらに食事を終えたシルビー母とお友達のリップと直し・・・
「できません」と言えれば楽だがとにかく全員をそれなりにつくらなければ!
花嫁さんなのにメーク時間はたったの15分で即席ビューティー
シルビー妹も15分でつくりあげ
シルビー母とお友達のリップもがたがたになりながらもばれない程度にしあげ
12:30の終了予定は14:00間際まで押しに押してなんとか14:00のセレモニーに間に合った。
でも2回目ともなると雰囲気は分かっていたので大方成功、彼らにも喜んでもらえたのがなにより嬉しかった。
これで食べていけるとはとうてい思えないがまた彼女のつてで誰かが私を指名してくれる日が来ることを願う。
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mimiのブックバトン
http://mimiparis.exblog.jp/1819090/
2005-09-20T02:28:08+09:00
2005-09-20T02:39:27+09:00
2005-09-20T02:27:18+09:00
mimi-paris
パリ生活
なにやらいろいろ返答事項があったように思いますが、確認するのも面倒なので私流に適当にお送りします。
本は大好きなのですが、日本にいたときは仕事が忙しかったのと遊び歩いていたのとでそれほどの量は読んでおらず、今はパリにいるのでお気に入りの本の詳細をお知らせすることもできませんが、このブログを読んでその本に興味がありましたら各自でサーチ願います。
はい、どんっっ
「天蓋の船」上・下刊
(作者、出版社共に不明)
この小説は東京都にある西洋美術館(だったかな?)を創設したなんとかいう人を題材にしたおそらくフィクションなのですが、その時代背景がきちんと調べ上げられており、現実と小説の世界を行ったり来たりできるおもしろい本です。
主人公はその西洋美術館を創設したなんとかいう人に深く関わる女性なのですが、彼女の行き方がなんともドラマチックで、憧れとともに人生が一転することも夢ではないのではと希望を与えてくれます。
長ーい小説なのですがきっと一気に読み上げてしまうはず。
「日本人の英語」
著者:マーク・ピーターセン
出版社:岩波新書
モトローラで働いていたときに英語があまりにもつたない私を見かねて事業部長がくれた本です。事情はともあれこの本は英語を学びたい人には大変お勧め。日本人の英語に対する奇妙な偏見やネイティブの人たちが感じる日本人の扱う英語のおかしさを毒舌を交えながら記し、正しい英語の捕らえ方まで分かりやすく教えてくれます。
例えば、
「・・・・"Universuty of Meiji"がどんなにおかしいか理解しにくいと思うので、日本語にたとえてみたい。・・・・・内容的には、むしろ「明治な大学」などというような、わけの分からない、やや気味の悪いような言い方をしないと、"University of Meiji"のおかしなニュアンスが通じないであろう。」
「またあるとき、日本語の会話の中で突然「モンザエモン・チカマツを知っていますか」ときかれたこともある。それは私の顔がどこか気になって、ついそう言ってしまったのか、それとも、親切のつもりでわざわざさかさまにしてくれたのか分からないが、とても不思議な感じがした。
でも、これくらいのことを気にしていると、日本での生活ができなくなる。切ないことである。私は日本の大学生に"Genji Hikaru"とまで言われたこともあるのである。」
何度も繰り返し読みましたが、ときどきまた読み返しては自分の英語のおかしいところをその都度確認するのです。
彼の著書にはこの他に「続日本人の英語」と「心にとどく英語」も。同じく岩波新書より。
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適当でしたが私のブックバトンは終了させていただきます。
あつもも庵様遅くなってゴメンネ。
次のブックバトンはーーー
そらまめは大きくおいしく育ち続けているでしょうか、
sora様ーーー
サルサ話を通して女性とは何たるかをブログを通して語ってくれる、
mikan様ーーー
寒ーい北海道から暑ーい名古屋にお引越しされていかがお過ごしでしょうか。
おいしいもの可愛いものを愛する、
tommy-island様ーーー
別なブログサイトからわざわざ見にきてくださってありがとう。
着物のスペシャル中のスペシャリスト、彼女はどんな本を愛読しているのか個人的に気になります。。。
釈 証果 様ーーー
お忙しかったら無視してネ。
ステキな本の紹介楽しみにしています★
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ドイツ滞在記 de 1er a 7 septemble, 2005
http://mimiparis.exblog.jp/1724396/
2005-09-07T01:48:04+09:00
2005-09-10T02:16:06+09:00
2005-09-07T01:48:08+09:00
mimi-paris
パリ生活
大学の第2外国語でドイツ語を選択したときにみたドイツの街並みに感動して以来、どうしても行きたい場所だった。
どこに行っても静かで平和な空気が流れている。
大きな川はゆるやかに堂々と流れ
どの家も色鮮やかなお花を窓という窓に飾り
牛やひつじは一日中広ーい大地で寝転がったり草を食べたり
木陰に座っているひとも世界遺産にカメラを向けているひともアコーディオンを演奏しているひとも みんなが楽しげにみえた。
Bacharacher(バッハラッハ)に向かう電車からはずっとライン川が見える。
1泊目と2泊目はBacharacher YHに宿泊。
ここはシュターレック城。
小高い場所にあるので日中も夜景も星もとってもきれい。
朝食付きで一日19.6ユーロ。
夕食は別途6.2ユーロで食べられる。
すごいボリューム!
古城というので古びた部屋を想像していたが、中は新しく改装されている。
各部屋に清潔なシャワーとトイレがある。
いくつかユースホステルに泊まったがここが一番よかった。
なんだこれ?
Bacharacherの街並み。
こんな風にドイツの家々はどこもお花でいっぱいにしている。
これは特別かわいかったレストラン。
Wurzburg(ビュルツブルク)に立ち寄った理由はレジデンツと呼ばれるお城をみるため。
中庭に入ると円錐にカットされた植木にバラ園が迷路のように配置されている。
アリスはこんなお庭に迷い込んだんだろうな。
レジデンツ内部はものすごくゴージャス!!
最終目的地はノイシュバンシュタイン城。
お城の裏側に危なげな橋があってそこからはお城の全形と眼下の町が遠くにみえる。
橋の下を流れている滝はゼリーのように透き通っている。
5泊目と6泊目はFussen(フュッセン) YHに泊まった。
バイエルン州のユースホステルは26歳以下しか泊まれないと聞いていたのですこーし年齢をごまかして。。。
朝食付で一泊18.75ユーロ
夕食は別途5.2ユーロ。
これがここの夕食。
おいしかった。
ユースホステル www.HIhostels.com
途中何度かトラブルはあったが予定通り7日にはパリに戻ることができた。
今回は移動がたくさんだったので交通費がものすごくかかってしまった。
交通費 約320ユーロ
宿泊費(6泊) 約 120ユーロ
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ビーズ色の小部屋 le 20 Aout 2005
http://mimiparis.exblog.jp/1594213/
2005-08-21T04:09:04+09:00
2005-08-23T02:00:25+09:00
2005-08-21T04:09:23+09:00
mimi-paris
パリ生活
今日はふたりでロンドンへ日帰りで行く。
チケットは同じくJTBデスクで。
3ヶ月前、運良く格安航空券をゲットできた。
パリ・シャルル・ド・ゴール空港-ロンドン・ヒースロー空港 一人130.39ユーロ
また、タクシーをやっている知り合いができたので、パリ-空港間を一人10ユーロで送り迎えしてもらえた。
早朝のパリを発ってロンドンにいられる時間は約12時間。
市内だけならひととおりみてまわれる。
テロがあった後なので多少不安もあったがスペインに比べるとぜんぜん安全な気がした。
ひとり旅行じゃなかったからだろうか。
ふたりで
「あっちに行こう。」
「これはスゴイ!!」
と騒いで歩くのは楽しい。
大観覧車ロンドン・アイ→ビッグ・ベン→バッキンガム宮殿・・・と、ぐるっと一周するようにロンドンの中心地を歩いてみると、パリとはまた違った美しさに気づく。
彫刻類はそれほどないが、建物のかたちやすばらしく整備された公園に魅せられる。
ただひとつ難点はイギリスの通貨が高すぎるということだ。
現在1ポンド約200円。
ワッフルひとつ2ポンドを日本円に直してみると400円もしているのだ。
私たちは入場料やレストランの料金をいちいち日本円に直してみてその高さに驚き、なるべくお金のかかるところには行かないようにしながら観光を楽しんだ。
うわさによるとロンドンで仕事をみつけるのは簡単らしい。
また、もちろんポンドでお給料が支払われるのでたいそう稼げるらしい。
ロンドンを満喫したいなら働きにいってそこで生活したほうがよさそうだ。
ロンドン・アイのなかでガラスにへばりつくゆい。
ロンドン・アイ 一人12.5ポンド
しょっちゅう馬に乗った警官が通る。
むこうにみえるのはビッグ・ベン
とってもかわいいカフェ。
入り口で記念撮影をして満足した気になろう。
ロンドン独特の2階建てのバス。
これに乗って観光しようとすると一人21ポンド取られる。
市内のバスに乗って4000円以上・・・
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スペイン滞在記 de 10 a 12 Aout
http://mimiparis.exblog.jp/1525676/
2005-08-12T04:40:00+09:00
2007-02-18T14:44:43+09:00
2005-08-12T04:40:33+09:00
mimi-paris
パリ生活
アントニオ・ガウディを一度見てみたい。
フランス最南端のペルピニャンで電車を乗り継ぎバルセロナへ入る。
計12時間。
パリ・オーストルッツ駅-ペルピニャン間 往復40ユーロ。
こちらもカンヌ同様JTBで激安チケットをゲット(+手数料17ユーロ)。
ペルピニャン-バルセロナ間は通常料金で往復60ユーロ。
-ガウディ巡り-
まずはグエル公園から。
一山が公園となりあちこちにガウディによる石垣や建物がある。
ガウディ独特の曲線が素晴らしく自然とマッチしている。
日差しを避けながらガウディの作品が見える場所でそのかたちの美しさを眺めていた。
カンヌほどではないが階段を上り下りしているのでなかなか足腰にくる。
しばらく休憩して元気になったので次はサグラダ・ファミリアに向かった。
グエル公園をまっすぐ南下した位置にそれはある。
こちらもものすごい威圧感で聳え立っている。
まだ製作途中なのであちこち足場が組まれている。
ぐるりと外側を一周してみた。
ガウディが死去してから80年間、彼が残した設計図により他者が作業を続けているが、本人が手がけた部分と他者が引き継いだ部分が明らかにわかる。
新旧でというのではなく、ガウディが手がけた誕生の門はグエル公園にあったものと同様に切りっぱなしの石を積み重ねてつくられているが、新しい部分はそれを模倣して表面をデザインしているだけだ。
強度や時間短縮のためにそうしたのだろうか。
それともガウディの設計図に不可能な部分があって制作方法を変更したのか。
ガウディの作品の良さは単にかたちの面白さだけにとどまらないものがあるのに。
一周しながら少しがっかりしてこの場を離れた。
その後カサ・ミラ、カサ・バトリョがある通りを歩いてカテドラルに行ってみた。
こちらも工事中。
足場の隙間から姿をのぞき見てモンジュイックの丘に向かった。
日はだいぶ傾いてきている。
丘のてっぺんまで息を切らしながら上るとバルセロナの街が一望できた。
サグラダ・ファミリアもカテドラルも海もすっかり見える。
カラフルな住宅が密集している美しい町並みをしばらく眺めてバルセロナ散策を終えた。
-ユース・ホステルに泊まる-
お金を最小限に抑えるためユース・ホステルに滞在することにした。
今回の滞在場所はグエル公園近くのモンセラートYH。
元は貴族の館だったこの建物は天井も壁もモザイクで美しく装飾されている。
また少し高台にあるので窓やテラスから美しい夜景が見える。
朝食込2泊 31.6GBP(6,198円)
ひとつの部屋に8つベッドがあり、トイレ・シャワーは共同。
もちろんタオルも歯ブラシもないので持っていく。
夜は少し冷えるが毛布はないので寝冷えしないよう工夫が必要だ。
シャワーのある場所は水浸し。
シューズしかなかったのでシャワーを浴びている最中に濡れてしまわないようビニール袋に入れておき、からだを拭いた後すぐシューズを履かなければならない。
サンダルも持ってくるべきだった。
相部屋だった子達は集団で来ていたらしい。
夜中に戻ってきてガタガタと音を立てたが2晩とも爆睡できた。
スペインは治安が悪いので滞在中常に気を張っていたせいもあったが、初めてフランス語でも英語でもない言葉が飛び交う地に来たというのも緊張していた原因のひとつだったようだ。
カンヌはもちろんベルギーもフランス語圏だったからだ。
バルセロナを後にしフランスに入ると徐々に周りにいる人たちの話している内容がわかるようになってきた。
そして田舎のおばちゃんのようなのんびりとした平和な会話にほっとしていた。
出発前は毎日フランス語と向き合っていて少し疲れていたので、スペインに行ったら英語だけを使おうと思っていたのに、ふとしたときにフランス語が飛び出したり、フランス語だったらなんて言うだろうと始終考えていた。
アパートそばのメトロを出るともう薄闇になっていて、カフェやエッフェル塔がオレンジ色に輝いていた。
今日もここは良いお天気だったらしい。
透き通った空を見上げながらすっきりした気分で水道管の壊れているアパートへと戻った。
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南仏滞在記 -de 24 a 27 Juillet, 2005
http://mimiparis.exblog.jp/1394010/
2005-07-27T18:53:10+09:00
2005-07-29T07:23:07+09:00
2005-07-27T18:53:04+09:00
mimi-paris
パリ生活
夏休み旅行一発目は高級リゾート地、カンヌに決定!
目的はホームステイ。
フランスの生の家庭を体験できるし、ホテルに宿泊するよりも安い。
一ヶ月前に電車の格安チケットをゲットした。
パリ - カンヌ 往復85ユーロ(片道5H)+手数料17ユーロ
カンヌ駅に到着するとホストマザーのベアトリスさんが迎えてくれた。
彼女は日本語を話す。
ホームステイをしながらフランス語を学ぶこともできる。
私はステイのみ(45ユーロ/日、繁忙期+α)で予約したが、フランス語の講義も行っているところなので私のへたくそなフランス語もきちんと聞いてくれてフランス語で会話をしてくれる。
Mas St. Antoine(マ・サンタントワヌ)はカンヌ駅から車で10分の場所にある。
駅周辺は南国リゾートのにおいでいっぱいだが、そこは涼しい風が吹いていて避暑地のよう。
「観光に出かけるなら車で送迎しますよ」
とベアトリスさんは言ってくれたが、たかだか車で10分の距離、荷物さえなければ歩いていけると思い、徒歩でお散歩に出かけた。
坂道をどんどん下っていくとすぐ海に出た。
強い日差し ビーチパラソル 海辺のカフェ ヨットハーバー・・・
そうだった ここはコート・ダジュール、海遊びをしてなんぼの場所。
水着を忘れた・・・
しかしカンヌの魅力は蒼い海だけではない。
旧市街には現存されている伝統的な建物が軒を連ねている。
かわいいおうちを眺めながら階段を上っていくと、現在は博物館になっているお城にたどり着いた。
カンヌの町と海が一望できる。
すっかり気分が良くなって家路につくことにした。
特別複雑な道ではない。
坂道をひたすら登ればいい。
そう、ひたすら・・・
その坂道は山登り並みの傾斜で長年デスクワークと車での移動を続けてきた私の足腰にずっしりときた。
たかだか車で10分。
普通の道ならなんてことない距離もものすごく体力を消耗させた。
うっすら暗くなり始めると下界にみえる町にも灯がともり始め、サンタントワヌのテラスからは美しい夜景が広がる。
疲れた体に家庭料理は優しかった。
ホストファザーのジミーさんが楽しそうに「本日の映画」を選んでいる。
毎晩映画をみるのが日課らしい。
もちろん滞在者もホストファミリーと一緒にみることができる。
ここにはいろんな場面でホテルに滞在するのとは違った良さがある。
ホストファミリーの息子、ブノアとホームステイに来ていた子達
食事を振舞うジミーさんとベアトリスさん
みんなでテラスで食事
カンヌでホームステイ
http://www.aaafrance.net/
-EZE(エズ)-
カンヌ滞在2日目。
楽しげに海と戯れる人々の中にひとりで行くのもむなしいので近くの村に行くことにした。
エズはカンヌから電車で1時間のところにある。
海岸線のすぐ後方に切り立った山に張り付くようにある小さな村。
山のてっぺんにある集落はひときわ美しいという。
出掛けにベアトリスさんは
「エズ駅から村までのバスが出ているからそれに乗ってね」
と教えてくれたが、またしても私はこっそり歩いていこうと決めていた。
多少時間がかかってものんびりお散歩しながら歩いていくのはきっと楽しいと・・・
エズ駅に到着してから目的地のステキな村の場所を探す。
地図で自分の位置を確認すると「ニーチェの小道」を歩いていくと村に着くことが分かった。
「ニーチェの小道」
なんてステキなネーミング!
それは駅のすぐそばにあった。
迷わず先に進み始める。
情緒溢れる石塀の急な坂道を楽しい気分で登り続けると途中からただの山道になった。
「???」と思いながらもとりあえず先に進んでみたが、息が切れてきたところでだんだん不安になって立ち止まった。
何かが間違っている気がして仕方がなかった。
引き返すべきか迷ったときに入り口にあった案内板を思い出した。
「ニーチェの小道 1H 20mn」
訳) このような山道が1時間20分続きます
・・・・・・・・・
唖然としたが合点したので先に進むことに決めた。
かくして私はタンクトップに7分丈パンツ&肩掛けバッグで登山することとなったのだ。
「ニーチェの小道」
このネーミングは今後私のように軽い気持ちで歩いてみようという人たちを増やさないためにも変えるべきではないだろうか。
改名 「ニーチェの山登り」。
。。。。。。。。
ジャスト1時間20分後、苦労してたどり着いたEZE Village(エズ・ビラージュ)は想像以上の美しさで私を迎えた。
ディズニーランドにあるにせもののおとぎの国ではなく本物のおとぎの国!
迷路のように枝分かれする細い道は想像力を大いに掻き立てた。
現実離れした不思議な、しかし神聖な空気があった。
同時にそこは芸術村でもありさまざまな職人が自分や家族がつくったものを売っている。
去りがたい気持ちは単にまたあの「ニーチェの小道」を歩くのが嫌だったからだけではないだろう。
高級リゾート地「コート・ダジュール」はすばらしい体力づくりの地として私の記憶に残っていく。
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ビーズ色の小部屋 Juillet 23, 2005
http://mimiparis.exblog.jp/1361468/
2005-07-24T03:08:23+09:00
2005-07-24T03:08:18+09:00
2005-07-24T03:08:18+09:00
mimi-paris
パリ生活
先日コインランドリーでパンツ(下着)を4枚盗まれた・・・
うちのアパートにはオーブンはあっても洗濯機はない。
なので洗濯をするときは近所のコインランドリーに行ってする。
6kgの洗濯物を洗うと3.7ユーロ。
別料金で乾燥機は1ユーロ。
私の生活レベルでは決して安くない金額。
週1で洗濯をしに行くのだが、そのときに洗い物を全部まとめてしてしまう。
部屋に物干し場もないので乾燥機も使用しなくてはいけない。
この乾燥機を使用して終わった後の少しの間にやられたらしい。
いつもと違ったのは、乾燥機のふたが開いて中のものが外にはみ出していたことだ。
「おかしいな」
とは思ったものの、隣にいた男の人に
「私のパンツ取った!?」
と聞く会話レベルにも至っていなかったし、確認もせず疑うこともできずとりあえずバッグに服を詰め込んだ。
そのときは何をどのくらい盗られたのかわからなかったが、後に
「あのパンツをはこう」
と探したときに気がついた。
全部で4枚ない・・・
いろんな人が使用するコインランドリー。
でもロック機能はない。
パリにも下着集めが趣味の人がいるとは思ってもみなかったので今まで全ての服を持ち込んでいたが、もう2度とあそこに下着は持ち込むまい。
みなさんもコインランドリーで無防備に下着を洗わないほうがよいでしょう。]]>
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