ビーズ色の小部屋 le 9 decemble, 2005
2005年 12月 10日
パリも華やかにクリスマスシーズンが始まった。
各ショップ、各通りはそれぞれ思考を凝らしたデコレーションできらめいている。
ある情報誌で生活困難な人々のための無料配給をしている組織があることを知った。
寒空の下家もなく食べることもできない人々に食事や宿泊所を提供する。
そのスタッフたちは全てボランティアで、自分たちの仕事終了後、享受者のお世話を深夜まで続けるのだという。
こういった奉仕活動があるということは少し前から知っていたが、今改めて何かをズシンと感じているのはここで出会った一人の外国人のためだ。
彼は私の前ではある程度収入もあり生活もきちんとできている風を装っているが、この地での移民に対しての風当たりの強さは日本人の私が想像している程度ではないのだと思う。
彼は自分の過去について、例えば、どうしてパリで生活しているのか、現在に至るまでにどのようなことをしてきたのかとか、彼の母国での思い出等はほとんど私に話さない。
でも最近、自分はあるセンターでときどきボランティア活動をしているのだと話してくれた。
なぜボランティアをしているのかと尋ねてみた。
彼はそこそこ収入を得ていたが、決して満足なほどではないと感じていたし、ただでさえ忙しそうだったから。
すると彼は
「以前そこに助けてもらっていたからだよ」
と教えてくれた。
そういえば初めて無料配給サービスについて聞いたのは彼からだった。
そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
でももし彼が以前このサービスの享受者側で、自力で生活している今、今度はそこで活動しているのだとしたら、
彼の目に私はどのように映っているのか。
物価の高いフランスで、自分では極貧生活だと思っていても、良い部屋に住み、毎日服をとっかえひっかえしてメークアップスクールに留学しに来ている日本人。。。
ブランドショップに目を輝かせ、暇があると美術館だお城だと観光して歩き、その傍らにたたずむ浮浪者たちを見ないようにしている。。。
ところで、帰国を目前に控えている私は、ここのところパリでの生活に少し疲れを感じていた。
ここで交流してきた人たちは、私自身が好きだからではなく、私が持っているモノを利用したいだけなのではないかと考え始めていたからだ。
日本人から外国人から次から次へと要求されながら
「日本にいたらこんなことはないのに」
と、早く帰りたい気持ちが強くなっていた。
そんなときにこの記事を読んだ。
なんとなく恥ずかしい気持ちになった。
よりリッチな生活、より高級な品々を常に望んでいるのは日本人だけではないが、「他人(ひと)より良いモノ」を得ることばかりを願っている私も同類だ。
ただ、今の私では寄付をすることもこの奉仕活動に参加することもできないが、間接的にでも私のキャパシティで力添えできたらと思う。
「偽りの貧困者に食物を提供してもかまわない。
真の貧困者への援助を断ってしまうよりは・・・」
彼らのように 大きなココロを持てますように
今年初めて本当のクリスマスの意味を持つ地でその日を過ごす。
「ノエル」とは、日々満たされている人たちが特別張り切って愛を語り合う日でも特別奮発して食事をする日でもなく、本来はきっと、何かが冷え切っている人々のカラダの中に小さな灯りをともすことなのではないだろうか。
各ショップ、各通りはそれぞれ思考を凝らしたデコレーションできらめいている。
ある情報誌で生活困難な人々のための無料配給をしている組織があることを知った。
寒空の下家もなく食べることもできない人々に食事や宿泊所を提供する。
そのスタッフたちは全てボランティアで、自分たちの仕事終了後、享受者のお世話を深夜まで続けるのだという。
こういった奉仕活動があるということは少し前から知っていたが、今改めて何かをズシンと感じているのはここで出会った一人の外国人のためだ。
彼は私の前ではある程度収入もあり生活もきちんとできている風を装っているが、この地での移民に対しての風当たりの強さは日本人の私が想像している程度ではないのだと思う。
彼は自分の過去について、例えば、どうしてパリで生活しているのか、現在に至るまでにどのようなことをしてきたのかとか、彼の母国での思い出等はほとんど私に話さない。
でも最近、自分はあるセンターでときどきボランティア活動をしているのだと話してくれた。
なぜボランティアをしているのかと尋ねてみた。
彼はそこそこ収入を得ていたが、決して満足なほどではないと感じていたし、ただでさえ忙しそうだったから。
すると彼は
「以前そこに助けてもらっていたからだよ」
と教えてくれた。
そういえば初めて無料配給サービスについて聞いたのは彼からだった。
そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
でももし彼が以前このサービスの享受者側で、自力で生活している今、今度はそこで活動しているのだとしたら、
彼の目に私はどのように映っているのか。
物価の高いフランスで、自分では極貧生活だと思っていても、良い部屋に住み、毎日服をとっかえひっかえしてメークアップスクールに留学しに来ている日本人。。。
ブランドショップに目を輝かせ、暇があると美術館だお城だと観光して歩き、その傍らにたたずむ浮浪者たちを見ないようにしている。。。
ところで、帰国を目前に控えている私は、ここのところパリでの生活に少し疲れを感じていた。
ここで交流してきた人たちは、私自身が好きだからではなく、私が持っているモノを利用したいだけなのではないかと考え始めていたからだ。
日本人から外国人から次から次へと要求されながら
「日本にいたらこんなことはないのに」
と、早く帰りたい気持ちが強くなっていた。
そんなときにこの記事を読んだ。
なんとなく恥ずかしい気持ちになった。
よりリッチな生活、より高級な品々を常に望んでいるのは日本人だけではないが、「他人(ひと)より良いモノ」を得ることばかりを願っている私も同類だ。
ただ、今の私では寄付をすることもこの奉仕活動に参加することもできないが、間接的にでも私のキャパシティで力添えできたらと思う。
「偽りの貧困者に食物を提供してもかまわない。
真の貧困者への援助を断ってしまうよりは・・・」
彼らのように 大きなココロを持てますように
今年初めて本当のクリスマスの意味を持つ地でその日を過ごす。
「ノエル」とは、日々満たされている人たちが特別張り切って愛を語り合う日でも特別奮発して食事をする日でもなく、本来はきっと、何かが冷え切っている人々のカラダの中に小さな灯りをともすことなのではないだろうか。
by mimi-paris
| 2005-12-10 04:06
| パリ生活