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お久しぶり!!
パリから帰国して早1年半が過ぎました。早い!早すぎる!! パリでの毎日が未だに過去の出来事となりきらないのですが、今回は初の渡米を果たし、2007年サンフランシスコさくらまつりに着物ショーの参加者として行って来ました。 4月22日。前日のどたばた着物ショーを終え、この日は楽しいフロートに乗ってのパレードでした。台車に乗っているのは着物ショーでモデルをやった人だけでなく、裏方で走り回った人や観客として同行した人までが自慢のお着物を身に纏って参加しました。![]() ![]() ピンクの着物を着ているのが今回同行した全日本きものの女王。周りにいるのが現地のいろんな女王たち。 彼はみんなが乗っているフロートを製作したひと。「キミたちがぼくの作品に乗るのかい?」と声をかけてきました。![]() これは着物ショーの舞台裏。今回もベルギーのときと同様に現地の方にもモデルとして参加してもらいました。![]() メークアップスクール卒業の日。
最後の試験を午前中に終了し午後は修了証書授与式+パーティー。 夏休み前の修了式は見送り側だったが今回は卒業側として出席する。 フレリモン氏から証書を受け取るガビ授与式後のパーティーではシャンパンやパイ、ケーキが振舞われる。 ![]() ![]() パリでの生活も終わりに近づいてきた。 この8ヶ月間がなぜか長く感じたのは ヒマだったから じゃなくて 本来なら数年かけて得られるものや行ける場所にこの間凝縮してできたからだと思う。 「日本に帰ったら風景が変わってたりして・・・」 「新しいものがいっぱい出てるだろうな・・・」 「家族や友人に会ったらお互いすごく懐かしく思うだろうな・・・」 と思っているのは私だけなのだろう。 とりあえず mimiのパリ日記はここまで。 この日記を読んでくださった方々にたくさんのありがとうと、 これからパリに留学を考えている人たちの道しるべになれたら嬉しく思います。 スタージュ、現像とお世話になったSutudio Falourのマダム方。 ![]() Special thanks! to TOMOYO. パリも華やかにクリスマスシーズンが始まった。
各ショップ、各通りはそれぞれ思考を凝らしたデコレーションできらめいている。 ![]() ある情報誌で生活困難な人々のための無料配給をしている組織があることを知った。 寒空の下家もなく食べることもできない人々に食事や宿泊所を提供する。 そのスタッフたちは全てボランティアで、自分たちの仕事終了後、享受者のお世話を深夜まで続けるのだという。 こういった奉仕活動があるということは少し前から知っていたが、今改めて何かをズシンと感じているのはここで出会った一人の外国人のためだ。 ![]() 彼は私の前ではある程度収入もあり生活もきちんとできている風を装っているが、この地での移民に対しての風当たりの強さは日本人の私が想像している程度ではないのだと思う。 彼は自分の過去について、例えば、どうしてパリで生活しているのか、現在に至るまでにどのようなことをしてきたのかとか、彼の母国での思い出等はほとんど私に話さない。 でも最近、自分はあるセンターでときどきボランティア活動をしているのだと話してくれた。 なぜボランティアをしているのかと尋ねてみた。 彼はそこそこ収入を得ていたが、決して満足なほどではないと感じていたし、ただでさえ忙しそうだったから。 すると彼は 「以前そこに助けてもらっていたからだよ」 と教えてくれた。 そういえば初めて無料配給サービスについて聞いたのは彼からだった。 そうかもしれないし、そうでないかもしれない。 でももし彼が以前このサービスの享受者側で、自力で生活している今、今度はそこで活動しているのだとしたら、 彼の目に私はどのように映っているのか。 物価の高いフランスで、自分では極貧生活だと思っていても、良い部屋に住み、毎日服をとっかえひっかえしてメークアップスクールに留学しに来ている日本人。。。 ブランドショップに目を輝かせ、暇があると美術館だお城だと観光して歩き、その傍らにたたずむ浮浪者たちを見ないようにしている。。。 ところで、帰国を目前に控えている私は、ここのところパリでの生活に少し疲れを感じていた。 ここで交流してきた人たちは、私自身が好きだからではなく、私が持っているモノを利用したいだけなのではないかと考え始めていたからだ。 日本人から外国人から次から次へと要求されながら 「日本にいたらこんなことはないのに」 と、早く帰りたい気持ちが強くなっていた。 そんなときにこの記事を読んだ。 なんとなく恥ずかしい気持ちになった。 よりリッチな生活、より高級な品々を常に望んでいるのは日本人だけではないが、「他人(ひと)より良いモノ」を得ることばかりを願っている私も同類だ。 ただ、今の私では寄付をすることもこの奉仕活動に参加することもできないが、間接的にでも私のキャパシティで力添えできたらと思う。 「偽りの貧困者に食物を提供してもかまわない。 真の貧困者への援助を断ってしまうよりは・・・」 彼らのように 大きなココロを持てますように 今年初めて本当のクリスマスの意味を持つ地でその日を過ごす。 「ノエル」とは、日々満たされている人たちが特別張り切って愛を語り合う日でも特別奮発して食事をする日でもなく、本来はきっと、何かが冷え切っている人々のカラダの中に小さな灯りをともすことなのではないだろうか。 ![]() ![]() モン・サン・ミシェル生まれのお花が冬枯れのパリの部屋を少し華やかにしてくれた。 今月からフランスも冬時間となり日本との時差は8時間となる。 日の出は遅く、日の入り後はまだ開店中の店々にライトを灯させる。 だいぶ寒くなってきたが道路が凍るまでは自転車を使いたい。 学校に行くときはメーク道具が多いので無理だが美容院に働きに行くときは自転車。 でも美容院が終わる19:00頃にはすでにとっぷり日が暮れている。 ナツキから自転車を譲り受けたとき一緒にライトももらったがなぜか電気がつかない。 仕方がないのでノーライトで走るのだが、以前通っていたコンコルドの大交差点はとっても危険なため、少し歩かなければならないがルーブル美術館そばの橋を渡ってセーヌ川沿いを帰ってみることにした。 うん、この道路をまっすぐエッフェル塔の方角に向かえば安全みたい。 コンコルドを通っていたときは廃棄ガスと騒音でまわりを見る余裕などなかったが、きちんと自転車道が整備されているセーヌ川沿いを走りながらライトアップされたパリがとても綺麗なことに気がついた。 夏場は22:00頃まで明るく夜中に出歩くこともあまりしなかったので夜景を楽しめずにいた。 早くに暗くのもそう悪くないかなと思い直し、心地よい風に吹かれながら家までの道を走った。 ![]() Hotel de Ville (オテル・ド・ビル) 前にて。 ![]() ルーブル美術館前の橋の上から。
- アルファベットの読み方 -
美容院で働き始めて約1ヶ月が経った。 一番の問題はシャンプー中に客を濡らしてしまうことよりやっぱり言葉である。 予約の電話時に名前を尋ねても聞き取れないときは向こうから親切にアルファベットを教えてくれる。 しかしフランス語読みのアルファベットなためいつも正しく書き取れない。 アーベーツェーデーエー・・・ くらいまでしか知識がないのだ。 これはまずいと思いフランス語発音のアルファベットを勉強してみる。 でも実際電話口で言われると英語発音とごちゃまぜになってしまう。 慣れるのに時間がかかりそうだ・・・ - SAMURAI JAPON 2005 -
秋晴れの爽やかな週末 パリの西の外れにある Les Pavillons de Bercy (レ・パビロン・ド・ベルシー)というイベント会場で SAMURAI JAPON 2005 は行われた。 日本からやってくる団体に混じってイベントに参加するのは6月にベルギーで開催された着物ショーに次いで2度目となる。 今回はメークチームとして参加。 このイベントの催しのひとつであるメークアップショーを取り仕切る JUN MAKEUP が主催会社となっていて、メークアップアーティストとして参加できる、その仕事の記録がもらえるということで私とクラスメイトのcocoがパリから参加することに決めた。 参加が決まった9月のうちから宣伝やモデルの依頼代行、ボランティア探し、翻訳等と仕事を任されていた。 美容院での仕事も始めたところだったためハードな毎日を過ごしながらも当日には全てを整えることができた。 そして前日打ち合わせ。 そのときに受け取った資料の中の「パリ事務局」のところに私の名前が!? どうりで忙しいと思った。 会場はすばらしくかわいらしい場所。 以前はワイン工場だった場所に遊園地のような装飾を施してイベント会場としている。 しかしなぜかここは普段は閉めていて入れないらしい。 パリジェンヌでも入ったことがない人もいるんじゃないだろうか。 そこに SAMURAI JAPON 2005 としてどなたでも無料で会場内に入れ、全てのショーもただでみられるというステキな2日間。 あなたにもぜひみていただきたい!! それなのに最近写真を撮ることをすっかりなまけていたため、気づいたときにはイベントは終了し私は会場の外に出てしまっていました・・・ ということでご想像ください。 ステージでは主に日本の伝統芸能が行われる。メークショーはトップメークアップアーティストの一條純子さんを筆頭にステージ上でフランス人モデルに華やかにメークやヘアをつくりあげるというもの。 メークアップアーティストとして参加といっても裏でモデルにメークするだけだと思っていたら私たちもステージでメークをするのだと前日に初めて知った。 メークアップアーティストは表舞台に出ることはないのが常なので正直面食らったがこれは確かに良い経験。 私は「日本の花火」と題する場面でステージに立つ。 しかし本番直前まできものの着付チームに回り、ばたばたとイメージも鮮明でないままステージに立ったため、誰かが手近に置いた材料やコスメだけを使ってそばに座っていたモデルにパフォーマンスしていくこととなった。 仕上がりは、、、う~ん いまいち。。。 その後もショー以外の時間はもっぱら着付担当となった。 自分への着付は完璧になっていたがひとに着付けるということを長らくやっていなかったためだいぶ技術が粗雑になっていた。 それでも時間のない中でモデルに着付けたり、来場者にきものを着せてあげたり、モデルを引き受けてくれたクラスメイトのクリスティーナが初めて自分のきもの姿をみて喜んでいたとき改めて着付を習っていて良かったと思った。 もうひとつ、喜んだひとたちがいた。 お客様への催しとしてきものを着せてあげる傍ら、メークコーナーも設けていたのだが、なぜかチビッ子たちに大人気。 「タイガーを描いて!」 「ちょうちょを描いて!」 といつのまにかフェースペインティングコーナーに!? フェースペインティングは夏休み前のスタージュで経験済みだったのでひとりひとりほっぺに絵を描いてあげる。 自分の顔をみて歓声を上げてるこどもたちにこちらが満足してしまった。 。。。。。 イベントが終了し一緒に働いた参加者たちとのディナーに私とcocoも招かれた。 このときメークチームのみんなと初めてゆっくり話すことができた。 参加した女の子たちはJUN MAKEUPの社員以外にもまだ学生だというひとたちも数人来ていた。 現地から簡単に参加できる私やcocoと違ってはるばるやってきた彼女たちの意気込みに感服。 お互いに今後の抱負を語り合い、そして別れた。 同じ志を持つ彼女たちといつかどこかでまた会えるのもそう遠くない未来かもしれない。 -パリで働く-
1ヶ月ほど前にやっとの思いでSecurite Social(セキュリテ・ソシアル)という社会保障のようなものに加入できたので仕事を探し始めたところ、運よく美容師の求人が! 美容師免許は持っていないけれどまったく関係ない勉強をしているわけじゃないし頼み込んで雇ってもらおうと意気込んで面接に行った。 一度は断られたがその後向こうから連絡があり受付要員として雇ってもらえることに!! とりあえず仕事はみつかった。 ここでどうしても仕事の経験をしていきたかった。 留学先でお勉強だけして帰国するのは簡単。 でもそこでさらに多くの経験をするためにどのような手続きがあるのかやってみることでもっとその国で生活したという実感がでるのではと思う。 そして次の難関は許可証の申請。 ここでうまいこと来年分の許可証も得られれば学生としてではなく社会人としてパリで生活できるようになる。 許可証申請場所に提出する書類は会社からのもの以外は全てきれいに揃っている。 長期で働きたいと言い張って提出書類に労働期間を長く書いてもらおうと考えていた。 結果から言うと私は学校からのスタージュ証明書で働くことになった。 美容院のオーナーと話をしたとき、彼女は私がスタージュ(研修)として美容院で実習するというかたちを取れることを知った。 この証明書があれば美容院側も紛れもなく合法で雇えるということでオーナーは喜んでいた。 私もその日のうちにヤンに証明書を発行してもらいそれで事は済んだ。 かくして私の野望は実現できなくなった。 雇う側も許可証については頭を悩ませているようだ。 とはいえ私は望みどおり仕事を手に入れた。 毎週火、水、木と終日働くので学校には行けないけれど、後半の3ヶ月が始まって講義は4月にやった内容とほぼ同じ。 同じ内容を繰り返す毎日の講義全てに出席しているよりも外に出て別な経験ができるほうがいい。 美容院での仕事内容は掃除と電話応対。 でも働き始めて2日目にシャンプーを教わった。 3日目にカーラーを巻かせてもらえた。 日本人用の美容院なので日本語で応対することが多いがなぜかたまにフランス人もいらっしゃる。 フランス語できませんとは言っていられないので知っている表現を駆使しての応対。 またもや言葉が一番の問題点となっている。 今日から学校!
バイトのため学校にこれない日とSAMURAI JAPONのチラシを置いてもらいたいと伝えるため気合を入れて9:30に学校到着。 そう、明日からようやく手に入れた美容院でのアルバイト。 毎週火、水、木と終日働くため学校には行けない。 でも美容院での経験はメークと全く無関係ではないと説明して欠席をなんとか認めてもらおうと意気込んでいた。 夏休み前よりも多少上達した英語とフランス語でヤンとシルベンヌにきちんと説明でき、この欠席を了解してもらえた。 第一関門突破。 初日はニューカマーたちへの説明から始まった。 たくさんのニューカマーたちが真新しいメーク道具を手に注意深くフレリモンやヤンの言葉に耳を傾けている。 旧クラスメイトたちはひとりも来ていない。 ・・・また間違えたか 今日は来なくてもよかったのかも・・・ だいじょうぶでした。 説明が終わるとフレリモンによるデモンストレーション、午後は実践といつもどおりのメニューに移った。 全員ではないけれど旧クラスメイトたちもひとりふたりとやってきた。 今日の私のパートナーはロシア人のマリーナ。 英語もフランス語もほとんど理解できない。 去る4月、あんなに何にもできなかった私もいつのまにかあれこれと教える側になっていたことに改めて今日気づく。 安穏と日がな一日大半を寝て過ごした日々は過ぎ、忙しい日々が始まりそうな予感。
長かった夏休みがようやく終わりを迎えた。
今日はウェディングメークのお仕事。 花嫁さんにマッサージ&メークで20ユーロ その他花嫁母、妹、お友達 各10ユーロずついただく。 なぜこの仕事が舞い込んできたかというと、初めてのスタージュのときフォトスタジオでメークをしてあげた子が結婚するという。そのこが私にウェディングメークを依頼してきた。 そのときは依頼を受けただけで嬉しかったので無料でやってあげたが、その後私をレストランに招待してくれたり映画に連れて行ってくれたりと却って気をつかわせてしまった。 これはきちんと仕事をした時点で料金を取るべきだったなと反省していたところへ彼女の知り合いが口コミで私のことを聞きそのこのウェディングメークも担当することになったのだ。。。 花嫁さんはシルビー。 フランス人だがイギリスに留学していたので英語もぺらぺらだ。 あまり英語がぺらぺらでもこちらが理解しきれなかったりしてはずかしいのでこれもある意味考えもの・・・ 9:30 シルビー宅へ到着、メーク道具を準備する。 各人30分ずつとシルビーには1時間の時間を取っていたが、だいたいお式当日は花嫁さんはもとよりまわりのひとたちもぱたぱたと動き回っているのでそのうち時間がたりなくなる。 結局1,2時間待ち時間で 12:30 ようやくシルビーがメークのいすに座ってくれた。 出発時間は13:00!? シルビーだけならともかくシルビー妹もこれから、さらに食事を終えたシルビー母とお友達のリップと直し・・・ 「できません」と言えれば楽だがとにかく全員をそれなりにつくらなければ! 花嫁さんなのにメーク時間はたったの15分で即席ビューティー シルビー妹も15分でつくりあげ シルビー母とお友達のリップもがたがたになりながらもばれない程度にしあげ 12:30の終了予定は14:00間際まで押しに押してなんとか14:00のセレモニーに間に合った。 でも2回目ともなると雰囲気は分かっていたので大方成功、彼らにも喜んでもらえたのがなにより嬉しかった。 これで食べていけるとはとうてい思えないがまた彼女のつてで誰かが私を指名してくれる日が来ることを願う。 あつもも庵様よりお受けしたブックバトンをお送りします。
なにやらいろいろ返答事項があったように思いますが、確認するのも面倒なので私流に適当にお送りします。 本は大好きなのですが、日本にいたときは仕事が忙しかったのと遊び歩いていたのとでそれほどの量は読んでおらず、今はパリにいるのでお気に入りの本の詳細をお知らせすることもできませんが、このブログを読んでその本に興味がありましたら各自でサーチ願います。 はい、どんっっ 「天蓋の船」上・下刊 (作者、出版社共に不明) この小説は東京都にある西洋美術館(だったかな?)を創設したなんとかいう人を題材にしたおそらくフィクションなのですが、その時代背景がきちんと調べ上げられており、現実と小説の世界を行ったり来たりできるおもしろい本です。 主人公はその西洋美術館を創設したなんとかいう人に深く関わる女性なのですが、彼女の行き方がなんともドラマチックで、憧れとともに人生が一転することも夢ではないのではと希望を与えてくれます。 長ーい小説なのですがきっと一気に読み上げてしまうはず。 「日本人の英語」 著者:マーク・ピーターセン 出版社:岩波新書 モトローラで働いていたときに英語があまりにもつたない私を見かねて事業部長がくれた本です。事情はともあれこの本は英語を学びたい人には大変お勧め。日本人の英語に対する奇妙な偏見やネイティブの人たちが感じる日本人の扱う英語のおかしさを毒舌を交えながら記し、正しい英語の捕らえ方まで分かりやすく教えてくれます。 例えば、 「・・・・"Universuty of Meiji"がどんなにおかしいか理解しにくいと思うので、日本語にたとえてみたい。・・・・・内容的には、むしろ「明治な大学」などというような、わけの分からない、やや気味の悪いような言い方をしないと、"University of Meiji"のおかしなニュアンスが通じないであろう。」 「またあるとき、日本語の会話の中で突然「モンザエモン・チカマツを知っていますか」ときかれたこともある。それは私の顔がどこか気になって、ついそう言ってしまったのか、それとも、親切のつもりでわざわざさかさまにしてくれたのか分からないが、とても不思議な感じがした。 でも、これくらいのことを気にしていると、日本での生活ができなくなる。切ないことである。私は日本の大学生に"Genji Hikaru"とまで言われたこともあるのである。」 何度も繰り返し読みましたが、ときどきまた読み返しては自分の英語のおかしいところをその都度確認するのです。 彼の著書にはこの他に「続日本人の英語」と「心にとどく英語」も。同じく岩波新書より。 --------------------------------------- 適当でしたが私のブックバトンは終了させていただきます。 あつもも庵様遅くなってゴメンネ。 次のブックバトンはーーー そらまめは大きくおいしく育ち続けているでしょうか、 sora様ーーー サルサ話を通して女性とは何たるかをブログを通して語ってくれる、 mikan様ーーー 寒ーい北海道から暑ーい名古屋にお引越しされていかがお過ごしでしょうか。 おいしいもの可愛いものを愛する、 tommy-island様ーーー 別なブログサイトからわざわざ見にきてくださってありがとう。 着物のスペシャル中のスペシャリスト、彼女はどんな本を愛読しているのか個人的に気になります。。。 釈 証果 様ーーー お忙しかったら無視してネ。 ステキな本の紹介楽しみにしています★ 夏休み最後の旅先はドイツ。
大学の第2外国語でドイツ語を選択したときにみたドイツの街並みに感動して以来、どうしても行きたい場所だった。 どこに行っても静かで平和な空気が流れている。 大きな川はゆるやかに堂々と流れ どの家も色鮮やかなお花を窓という窓に飾り 牛やひつじは一日中広ーい大地で寝転がったり草を食べたり 木陰に座っているひとも世界遺産にカメラを向けているひともアコーディオンを演奏しているひとも みんなが楽しげにみえた。 ![]() Bacharacher(バッハラッハ)に向かう電車からはずっとライン川が見える。 ![]() 1泊目と2泊目はBacharacher YHに宿泊。 ここはシュターレック城。 小高い場所にあるので日中も夜景も星もとってもきれい。 朝食付きで一日19.6ユーロ。 夕食は別途6.2ユーロで食べられる。 すごいボリューム! ![]() 古城というので古びた部屋を想像していたが、中は新しく改装されている。 各部屋に清潔なシャワーとトイレがある。 いくつかユースホステルに泊まったがここが一番よかった。 ![]() なんだこれ? ![]() Bacharacherの街並み。 こんな風にドイツの家々はどこもお花でいっぱいにしている。 これは特別かわいかったレストラン。 ![]() Wurzburg(ビュルツブルク)に立ち寄った理由はレジデンツと呼ばれるお城をみるため。 中庭に入ると円錐にカットされた植木にバラ園が迷路のように配置されている。 アリスはこんなお庭に迷い込んだんだろうな。 ![]() レジデンツ内部はものすごくゴージャス!! ![]() 最終目的地はノイシュバンシュタイン城。 お城の裏側に危なげな橋があってそこからはお城の全形と眼下の町が遠くにみえる。 橋の下を流れている滝はゼリーのように透き通っている。 ![]() 5泊目と6泊目はFussen(フュッセン) YHに泊まった。 バイエルン州のユースホステルは26歳以下しか泊まれないと聞いていたのですこーし年齢をごまかして。。。 朝食付で一泊18.75ユーロ 夕食は別途5.2ユーロ。 これがここの夕食。 おいしかった。 ユースホステル www.HIhostels.com 途中何度かトラブルはあったが予定通り7日にはパリに戻ることができた。 今回は移動がたくさんだったので交通費がものすごくかかってしまった。 交通費 約320ユーロ 宿泊費(6泊) 約 120ユーロ 只今妹がこちらに滞在中☆
今日はふたりでロンドンへ日帰りで行く。 チケットは同じくJTBデスクで。 3ヶ月前、運良く格安航空券をゲットできた。 パリ・シャルル・ド・ゴール空港-ロンドン・ヒースロー空港 一人130.39ユーロ また、タクシーをやっている知り合いができたので、パリ-空港間を一人10ユーロで送り迎えしてもらえた。 早朝のパリを発ってロンドンにいられる時間は約12時間。 市内だけならひととおりみてまわれる。 テロがあった後なので多少不安もあったがスペインに比べるとぜんぜん安全な気がした。 ひとり旅行じゃなかったからだろうか。 ふたりで 「あっちに行こう。」 「これはスゴイ!!」 と騒いで歩くのは楽しい。 大観覧車ロンドン・アイ→ビッグ・ベン→バッキンガム宮殿・・・と、ぐるっと一周するようにロンドンの中心地を歩いてみると、パリとはまた違った美しさに気づく。 彫刻類はそれほどないが、建物のかたちやすばらしく整備された公園に魅せられる。 ただひとつ難点はイギリスの通貨が高すぎるということだ。 現在1ポンド約200円。 ワッフルひとつ2ポンドを日本円に直してみると400円もしているのだ。 私たちは入場料やレストランの料金をいちいち日本円に直してみてその高さに驚き、なるべくお金のかかるところには行かないようにしながら観光を楽しんだ。 うわさによるとロンドンで仕事をみつけるのは簡単らしい。 また、もちろんポンドでお給料が支払われるのでたいそう稼げるらしい。 ロンドンを満喫したいなら働きにいってそこで生活したほうがよさそうだ。 ![]() ロンドン・アイのなかでガラスにへばりつくゆい。 ロンドン・アイ 一人12.5ポンド ![]() しょっちゅう馬に乗った警官が通る。 むこうにみえるのはビッグ・ベン ![]() とってもかわいいカフェ。 入り口で記念撮影をして満足した気になろう。 ![]() ロンドン独特の2階建てのバス。 これに乗って観光しようとすると一人21ポンド取られる。 市内のバスに乗って4000円以上・・・
次の旅行地はスペイン、バルセロナ。
アントニオ・ガウディを一度見てみたい。 フランス最南端のペルピニャンで電車を乗り継ぎバルセロナへ入る。 計12時間。 パリ・オーストルッツ駅-ペルピニャン間 往復40ユーロ。 こちらもカンヌ同様JTBで激安チケットをゲット(+手数料17ユーロ)。 ペルピニャン-バルセロナ間は通常料金で往復60ユーロ。 -ガウディ巡り- まずはグエル公園から。 一山が公園となりあちこちにガウディによる石垣や建物がある。 ![]() ガウディ独特の曲線が素晴らしく自然とマッチしている。 日差しを避けながらガウディの作品が見える場所でそのかたちの美しさを眺めていた。 カンヌほどではないが階段を上り下りしているのでなかなか足腰にくる。 ![]() しばらく休憩して元気になったので次はサグラダ・ファミリアに向かった。 グエル公園をまっすぐ南下した位置にそれはある。 こちらもものすごい威圧感で聳え立っている。 まだ製作途中なのであちこち足場が組まれている。 ぐるりと外側を一周してみた。 ガウディが死去してから80年間、彼が残した設計図により他者が作業を続けているが、本人が手がけた部分と他者が引き継いだ部分が明らかにわかる。 新旧でというのではなく、ガウディが手がけた誕生の門はグエル公園にあったものと同様に切りっぱなしの石を積み重ねてつくられているが、新しい部分はそれを模倣して表面をデザインしているだけだ。 強度や時間短縮のためにそうしたのだろうか。 それともガウディの設計図に不可能な部分があって制作方法を変更したのか。 ガウディの作品の良さは単にかたちの面白さだけにとどまらないものがあるのに。 一周しながら少しがっかりしてこの場を離れた。 ![]() その後カサ・ミラ、カサ・バトリョがある通りを歩いてカテドラルに行ってみた。 こちらも工事中。 足場の隙間から姿をのぞき見てモンジュイックの丘に向かった。 日はだいぶ傾いてきている。 丘のてっぺんまで息を切らしながら上るとバルセロナの街が一望できた。 サグラダ・ファミリアもカテドラルも海もすっかり見える。 カラフルな住宅が密集している美しい町並みをしばらく眺めてバルセロナ散策を終えた。 -ユース・ホステルに泊まる- ![]() お金を最小限に抑えるためユース・ホステルに滞在することにした。 今回の滞在場所はグエル公園近くのモンセラートYH。 元は貴族の館だったこの建物は天井も壁もモザイクで美しく装飾されている。 また少し高台にあるので窓やテラスから美しい夜景が見える。 ![]() 朝食込2泊 31.6GBP(6,198円) ![]() ひとつの部屋に8つベッドがあり、トイレ・シャワーは共同。 もちろんタオルも歯ブラシもないので持っていく。 夜は少し冷えるが毛布はないので寝冷えしないよう工夫が必要だ。 ![]() シャワーのある場所は水浸し。 シューズしかなかったのでシャワーを浴びている最中に濡れてしまわないようビニール袋に入れておき、からだを拭いた後すぐシューズを履かなければならない。 サンダルも持ってくるべきだった。 ![]() 相部屋だった子達は集団で来ていたらしい。 夜中に戻ってきてガタガタと音を立てたが2晩とも爆睡できた。 スペインは治安が悪いので滞在中常に気を張っていたせいもあったが、初めてフランス語でも英語でもない言葉が飛び交う地に来たというのも緊張していた原因のひとつだったようだ。 カンヌはもちろんベルギーもフランス語圏だったからだ。 バルセロナを後にしフランスに入ると徐々に周りにいる人たちの話している内容がわかるようになってきた。 そして田舎のおばちゃんのようなのんびりとした平和な会話にほっとしていた。 出発前は毎日フランス語と向き合っていて少し疲れていたので、スペインに行ったら英語だけを使おうと思っていたのに、ふとしたときにフランス語が飛び出したり、フランス語だったらなんて言うだろうと始終考えていた。 アパートそばのメトロを出るともう薄闇になっていて、カフェやエッフェル塔がオレンジ色に輝いていた。 今日もここは良いお天気だったらしい。 透き通った空を見上げながらすっきりした気分で水道管の壊れているアパートへと戻った。 -Cannnes(カンヌ)-
夏休み旅行一発目は高級リゾート地、カンヌに決定! 目的はホームステイ。 フランスの生の家庭を体験できるし、ホテルに宿泊するよりも安い。 一ヶ月前に電車の格安チケットをゲットした。 パリ - カンヌ 往復85ユーロ(片道5H)+手数料17ユーロ カンヌ駅に到着するとホストマザーのベアトリスさんが迎えてくれた。 彼女は日本語を話す。 ホームステイをしながらフランス語を学ぶこともできる。 私はステイのみ(45ユーロ/日、繁忙期+α)で予約したが、フランス語の講義も行っているところなので私のへたくそなフランス語もきちんと聞いてくれてフランス語で会話をしてくれる。 Mas St. Antoine(マ・サンタントワヌ)はカンヌ駅から車で10分の場所にある。 駅周辺は南国リゾートのにおいでいっぱいだが、そこは涼しい風が吹いていて避暑地のよう。 「観光に出かけるなら車で送迎しますよ」 とベアトリスさんは言ってくれたが、たかだか車で10分の距離、荷物さえなければ歩いていけると思い、徒歩でお散歩に出かけた。 坂道をどんどん下っていくとすぐ海に出た。 ![]() 強い日差し ビーチパラソル 海辺のカフェ ヨットハーバー・・・ そうだった ここはコート・ダジュール、海遊びをしてなんぼの場所。 水着を忘れた・・・ しかしカンヌの魅力は蒼い海だけではない。 旧市街には現存されている伝統的な建物が軒を連ねている。 かわいいおうちを眺めながら階段を上っていくと、現在は博物館になっているお城にたどり着いた。 カンヌの町と海が一望できる。 すっかり気分が良くなって家路につくことにした。 特別複雑な道ではない。 坂道をひたすら登ればいい。 そう、ひたすら・・・ その坂道は山登り並みの傾斜で長年デスクワークと車での移動を続けてきた私の足腰にずっしりときた。 たかだか車で10分。 普通の道ならなんてことない距離もものすごく体力を消耗させた。 うっすら暗くなり始めると下界にみえる町にも灯がともり始め、サンタントワヌのテラスからは美しい夜景が広がる。 疲れた体に家庭料理は優しかった。 ホストファザーのジミーさんが楽しそうに「本日の映画」を選んでいる。 毎晩映画をみるのが日課らしい。 もちろん滞在者もホストファミリーと一緒にみることができる。 ここにはいろんな場面でホテルに滞在するのとは違った良さがある。 ![]() ホストファミリーの息子、ブノアとホームステイに来ていた子達 ![]() 食事を振舞うジミーさんとベアトリスさん ![]() みんなでテラスで食事 カンヌでホームステイ http://www.aaafrance.net/ -EZE(エズ)- カンヌ滞在2日目。 楽しげに海と戯れる人々の中にひとりで行くのもむなしいので近くの村に行くことにした。 エズはカンヌから電車で1時間のところにある。 海岸線のすぐ後方に切り立った山に張り付くようにある小さな村。 山のてっぺんにある集落はひときわ美しいという。 出掛けにベアトリスさんは 「エズ駅から村までのバスが出ているからそれに乗ってね」 と教えてくれたが、またしても私はこっそり歩いていこうと決めていた。 多少時間がかかってものんびりお散歩しながら歩いていくのはきっと楽しいと・・・ エズ駅に到着してから目的地のステキな村の場所を探す。 地図で自分の位置を確認すると「ニーチェの小道」を歩いていくと村に着くことが分かった。 「ニーチェの小道」 なんてステキなネーミング! それは駅のすぐそばにあった。 迷わず先に進み始める。 ![]() 情緒溢れる石塀の急な坂道を楽しい気分で登り続けると途中からただの山道になった。 「???」と思いながらもとりあえず先に進んでみたが、息が切れてきたところでだんだん不安になって立ち止まった。 何かが間違っている気がして仕方がなかった。 引き返すべきか迷ったときに入り口にあった案内板を思い出した。 「ニーチェの小道 1H 20mn」 訳) このような山道が1時間20分続きます ・・・・・・・・・ 唖然としたが合点したので先に進むことに決めた。 かくして私はタンクトップに7分丈パンツ&肩掛けバッグで登山することとなったのだ。 「ニーチェの小道」 このネーミングは今後私のように軽い気持ちで歩いてみようという人たちを増やさないためにも変えるべきではないだろうか。 改名 「ニーチェの山登り」。 ![]() 。。。。。。。。 ジャスト1時間20分後、苦労してたどり着いたEZE Village(エズ・ビラージュ)は想像以上の美しさで私を迎えた。 ![]() ディズニーランドにあるにせもののおとぎの国ではなく本物のおとぎの国! 迷路のように枝分かれする細い道は想像力を大いに掻き立てた。 ![]() 現実離れした不思議な、しかし神聖な空気があった。 同時にそこは芸術村でもありさまざまな職人が自分や家族がつくったものを売っている。 去りがたい気持ちは単にまたあの「ニーチェの小道」を歩くのが嫌だったからだけではないだろう。 高級リゾート地「コート・ダジュール」はすばらしい体力づくりの地として私の記憶に残っていく。 ![]() -盗難-
先日コインランドリーでパンツ(下着)を4枚盗まれた・・・ うちのアパートにはオーブンはあっても洗濯機はない。 なので洗濯をするときは近所のコインランドリーに行ってする。 6kgの洗濯物を洗うと3.7ユーロ。 別料金で乾燥機は1ユーロ。 私の生活レベルでは決して安くない金額。 週1で洗濯をしに行くのだが、そのときに洗い物を全部まとめてしてしまう。 部屋に物干し場もないので乾燥機も使用しなくてはいけない。 この乾燥機を使用して終わった後の少しの間にやられたらしい。 いつもと違ったのは、乾燥機のふたが開いて中のものが外にはみ出していたことだ。 「おかしいな」 とは思ったものの、隣にいた男の人に 「私のパンツ取った!?」 と聞く会話レベルにも至っていなかったし、確認もせず疑うこともできずとりあえずバッグに服を詰め込んだ。 そのときは何をどのくらい盗られたのかわからなかったが、後に 「あのパンツをはこう」 と探したときに気がついた。 全部で4枚ない・・・ いろんな人が使用するコインランドリー。 でもロック機能はない。 パリにも下着集めが趣味の人がいるとは思ってもみなかったので今まで全ての服を持ち込んでいたが、もう2度とあそこに下着は持ち込むまい。 みなさんもコインランドリーで無防備に下着を洗わないほうがよいでしょう。 -アロカシオン-
Allocation(アロカシオン)とは生活に困っている人達用の生活補助金制度のことである。 いろんな種類の補助があって、失業補助や病気中の補助、育児補助などがあるらしい。 この中に学生補助というのもあって、この補助金をもらうために各種手続きをやってきた。 学生用のアロカシオンは家賃の3分の1ほどを補助してもらえるというものだ。 このアロカシオンをもうらうためには ・ 滞在許可証を取った後に ・ ALLOCATION FAMILIALE ( CAF )というところで申請書をもらい自分や家主が記入した書類を提出して ・ 2週間後くらいに番号取得の手紙が届いたら毎月補助金がおり始める。 私はあらかじめアポロ不動産に60ユーロで申請代行を依頼していたので滞在許可証を取得してすぐに書類を郵送できた。 5月末にアロカシオン番号を取得し、6月以降から補助金をもらうことになるのかと思っていたら、5月分の補助金も6月頭に入ってきた。 ただ残念だったことは、3分の1くらいもらえると聞いていたので200ユーロは毎月もらえるだろうと思っていたのに、実際は170ユーロだったことだ。 予定より早くからもらい始めたのでどっこいどっこいというところか。
7月14日
この日は革命記念日でパリ市内では大規模なイベントやパレードがあちこちで行われる。 朝10時ごろ、シャンゼリゼ大通りのコンコルド広場から凱旋門までの軍隊パレードとともに空軍機のショーも行われる。 夜10時ごろからはトロカデロで花火があがる。 私はこの日は前々からオペラ座の入場無料に目をつけていたので、当日朝6:30に家を出てオペラ座で居座ろうと決めていた。 本で確認はしていたが、実際本当に当日並んだだけでかの有名なオペラ座に入れるものかどうか定かではなかった。 だから行っても無駄足かもしれないと思いながら向かった。 7:00 オペラ座前に到着。 だれもいない。 階段脇では浮浪者が寝ている・・・ いよいよ絶望感を感じてきた。 でもせっかくきたのでもう少し待ってみることにした。 8:00 正面の門前で立っていたが、掃除のおばさんが足元をうろうろするので少し移動した。 ただ立っているのも疲れたのでついでに少し歩いてみようと思った。 正面から脇に回る。 そして私はこのとき初めて「チケット売り場」が正面ではなく脇の小門にあることを知った! すでに行列ができ始めているではないか!! 急いで私もその行列に加わりこの後3時間ほど待って11:15、前から2列目(!!!)のチケットを手にすることができた。 公演は19:30からだったので一度家に戻ることにした。 しかし帰り道はちょうどシャンゼリゼを横断しなければならなかったので、あちこちで軍隊パレードの通行止めにあった。 交通は完全にフリーズ。 歩きでも警官に止められてしまう。 ここまで大掛かりにイベントをするものかと驚いた。 パリに来てから初めてのおめかしができる機会を得て、ここぞとばかりに用意してきたドレスを来てオペラ座に向かった。 実際この日の公演はオペラではなくコンサートだったが、劇場内の装飾は目を見張るものがあった。 映画で見たことのある小部屋のような座席に金色の装飾と天井にはシャガールの絵画が☆☆☆ ![]() ステキな空間とすばらしい音楽を満喫して、23:00 初めてみるライトアップされたオペラ通りにまたうっとりしながら私のパリ祭は終了した。 ![]() パリの鳩はいつもぽてぽてと道路を歩いている。
あまり飛ぶのが好きではないらしい。 パリ人はよく食べ物を道に捨てるので食べすぎで飛べなくなったのか。 ひとがそばを通っても歩く。 車がそばを通っても歩く。 向かいからもひとが来て挟まれてからようやく面倒くさそうに少しだけ飛ぶ。 そのうち退化してにわとりのようになるのではないかと思ってしまう。 -映画の楽しみ方- 先日映画館の最終上映時間に観にいった。 たいてい私は午前中の安い時間に観にいくのだが、このときは先日のウェディングメークのお礼としてバネッサと彼女の旦那さんがおごってくれたからだ。 通常料金でも日本に比べると安い。 9ユーロ。 でも午前中はルーズなパリ人はあまり来ないので4ユーロで楽しめる。 午前中は人が少ないので気づかなかったが、パリ人の映画の楽しみ方は日本のそれとは結構違う。 さすがに夜ともなると長い行列ができるほどの混みようで、場内はたくさんの人で賑わっていた。 そして映画が始まってもその賑わいは続いた。 このとき見た映画はトム・クルーズ主演の「世界戦争」。 内容は別な惑星からやってきた宇宙人が地球を破壊するというホラー映画張りのグロテスクさ。 日本でこの映画をみたらきっと夜も眠れなくなる怖さだったろうと思う。 しかしシャンゼリゼの映画館でこの映画を見終わった後、私はただおもしろかったという感想を持った。 。。。ある日突然恐ろしいマシーンが地球に上陸して人々をレーザービームで焼き殺し建物を跡形もなく壊し始める。 その光景を最初に目の当たりにしたトムは、埃だらけになりながらも生き延び自宅に戻る。 変わり果てた姿で家に戻ったトムを子供たちが唖然としながら眺めているシーンをみながら観客はくすくすと笑う。・・・?? その親子の表情が面白かったらしい。 そういわれると うん、おもしろいかもしれない。 私も自然と笑いが出てきた。 宇宙人の恐ろしいマシーンがさらに破壊を続け、トム親子は車で逃げ続ける。 途中でトイレタイムを取った幼い娘が川原で用を足そうとすると、川上から何体ものどざえもんが流れてくる。 少女は驚愕の表情。 トムもその光景を見せまいと彼女をその場から連れ出すという恐ろしいシーンで場内大爆笑。・・・!! どざえもんがおもしろかったらしい。 そういわれると うん、おもしろい。 私も声を出して笑っていた。 始終グロテスクで、逃げ回り、見つかり、つかまり、危機一髪で逃げ出し・・・が続く映画に、本来なら「もうやめて~」と叫びたくなるはずなのに、「次は!?つぎは!?」とわくわくしながらあっという間に2時間は過ぎた。 最後は拍手で締めくくる。 あっぱれ! 何本か映画を見たが、この映画が一番面白かった。 果たして日本で観たとしてもそう感じただろうか。 -修了式-
フレリモン・メークアップスクールは3ヵ月でひととおり終え、それを年3回繰り返す。 今日は3回ある修了式の1回を行った。 私の修了式は次の3ヶ月コースを終えた12月なので今回は在校生と言う立場で参加した。 厳かに修了証書が一人ひとりに手渡され・・・ というのではなく、シャンパン片手にミニパイとおしゃべりの中和やかに進められる。 和やかな中でもみんな心なしか寂しそうに、別れを口にする前の空騒ぎのようにみんなが笑顔でいた。 世界各国から留学してきたクラスメイトとはもう簡単には再開できない。 ![]() 左の子は当校一のナイスバディ、ミナ。 ニューハーフ。 右側はジャネット・ジャクソン似のジェシカ。 ![]() スイート・フェースのサマンタ。 彼女に"Help me..." と言われるとなんでもしてあげたくなる。 何度も言うが私はレズではない、、、と思う。 ![]() 真ん中の女性が講師のシルベンヌ、44歳。 彼女のファッションはとてもステキ。 ユニーク。 おそらく彼女のスタイルを真似したらただの浮浪者に見えてしまうだろう。 そう考えてますます恐るべしシルベンヌ、と思う。 修了者全員に証書が渡されいよいよお開きとなるころ、あちらこちらでお別れのチーク・キスが始まる。 ほっぺとほっぺをくっつけて左、右、とちゅっ、ちゅっ、とする。 私はこの挨拶がはじめから大好きだった。 この挨拶があればたとえ数日間の関係だったとしても別れ際には泣きたくなるほど大切なひととなる。 私も修了生全員に挨拶に行った。 シルベンヌとも3ヶ月間のさよならのご挨拶。 こうして長いながい夏休みが始まった。 -Stage(スタージュ)③-
3度目のStageはファッションショーだった。 トゥールネから戻ってから毎日眠くてねむくてたまらない。 この日も例外なく動きながら半分寝ていた。 今回はクラスメイト数名と同行したStageだったので、ひとりで責任を背負うよりも気楽だった。 パリのとあるモード学校の修了製作としてのファッションショーで各々のテーマに合わせてメークを施す。 ![]() 控室のようす。 個性を最大限に表現したファッションばかり ![]() 服の色に合わせてメークをしていく。 本番の時間が近づくとメーク時間はひとり数分となる。 ![]() 服はもちろん、バッグやアクセサリーまですべてひとりのデザイナーがデザインし、ぎりぎりまで仕上げをしていた。 このデザイナーの作品はすぐにでもショップが開けそうなくらいきちんと仕上がっていて、デザインもかわいかった。
-着物ショー-
6月17、18日の2日間に行われる着物ショーのため、ベルギーにあるトゥールネという古都に行ってきた。 ![]() 奥の建物は世界遺産のひとつカテドラル・ノートルダム この町はどこもかしこも絵本のような石畳と赤レンガの三角屋根 パリから電車で1時間とちょっとで来ることができる。 この町の直径はたった30分で歩くことができる小ささだが、2000年の歴史を持ち、中央に聳え立つ世界遺産はその間何度も付け足し建築をされながら現在もミサのために利用されている。 また最初のフランス王国はこの地から興った。 パリとは異なり静かな優しい時間の流れる町。 この場所で有名なタペストリーと日本の着物が相通じるものがあるということで京都きものファッション協会を中心として着物ショーを開催することとなっていた。 日本で着付を勉強していたので、このイベントはパリに来ることの理由のひとつだった。 私は5分間の着物ソングに合わせて着物を着終えるというデモンストレーションをすることになっていた。 私の着物の先生はこのイベントの主催者の三宅てる乃さんで、日本でこの方の講座を受講したときにお話をいただき口約束で参加したいと伝えていただけだったので、行っても参加者に入っていないかもしれないと思いながら現地へ向かった。 なぜなら前日まで何の連絡もなかったから。 最悪の場合は関係者として日本から来るひとたちとは別にどこかのホテルに泊まろうと思いながらコンタクト先を探していたら、このイベントを取り仕切っている旅行会社と話をすることができた。 私の名前が入っている! そうして着物ショーは始まった。 ショー当日、私に与えられた役目はデモンストレーションとモデル、そしてその合間をぬって舞台にモデルを登場させるタイミングの指示出し係(!?) リハーサルはショー開始数時間前に初めて行われた。 日本人モデルに混ざって現地のベルギー人も数名モデルとして呼ばれていた。 彼らもモデルをするのは初めて。 私もモデルはもちろんキュー出しをするもの初めて・・・ 歩き方から始まって動き方、その後曲に合わせて通し。 着物合わせと平行しながら開始時間ぎりぎりまでリハーサルは続けられ、本番が始まる19:00にはみんなだいぶ疲れていた。 それでも本番は裏のばたばたを全く感じさせないすばらしい舞台になった。 私のキュー出しもデモンストレーションもなんとかボロが観客には分からないようにこなせた。 このショーの難しいところはベルギー人と日本人が混じって進なければいけないところだ。 日本人が考えたプランをフランス語しか話せないベルギー人に伝える。 通訳者はいたがひとりふたりでは手が回らないので、彼らがいないところではお互いかたことの英語や身振りで伝えるしかない。 日本人はあらかたそのとき自分がするべきことを知るが、ベルギー人はわからない。 私のフランス語もショーの流れを説明できるほど上達していないので、自分の登場シーンがいつなのか、そのとき着ている着物、動きにどんな意味があるのかほとんどわからなかったのではと思う。 また、ひまになるとすぐにどこかへいなくなってしまう。 きちんと自分の登場時に舞台袖に来てくれるか本当に心配だったが、本番が始まるころになると彼らから自分の場面はいつかと私のところに聞きにきてくれた。 ベルギー人と一緒に登場する日本人も出番が近づくと彼らの居所を気にしてくれた。 本番時には全員がプロ意識を持ち始めたのだ。 そうしてお互いにフォローしあってこのショーは無事に終えることができた。 ![]() 舞台裏ではひとりで何役もこなさなければいけないモデルたちに数分で着物を着せ替えるスタイリストたちが慌ただしく動き回る。彼らもリハーサル時には間に合わなかったが、本番には全ての着付を完成させた。 ![]() 左に立っている方が主催者の三宅てる乃先生。右側はミス着物たち。 ![]() ちんどんやさんも参加してトゥールネ市内を練り歩き着物ショーのお知らせをして歩いた。 ![]() 彼はムッシュー・フランシス。ちんどんやさんの傘を持っていたのがとてもかわいかった。 1日目はリハーサルがみっちり入っていたが、2日目は参加者みんなで市内観光(兼パレード)。野外マーケットの1角で鳥やひよこやウサギが売られている。ちなみにこれらはペットではない。 トゥールネではウサギを食用としているという・・・ ショーが終わったのは21:00過ぎ。その後豪華なレストランでみんなで食事をしたが、みんな半分寝ながらステキなディナーを満喫。 ホテルに戻るころには日にちが変わろうとしていた。 京都きものファッション協会 http://www.sunjerve.co.jp/index.html 思考が英語になってきた。
パリに来て2ヶ月になろうとしている。 先週末あたりからフランス語で会話できるようにもなった。 ひとつの単語を覚えると、それはたし算ではなく2乗3乗と放物線のように広がる。 もう少し。 -極貧生活日記- 失敗を繰り返しながら毎日料理をしているうちに定番料理ができた。 ![]() [おこのみやき~パリ風味~] -材料- ・小麦粉1kg 35セント(50円)←3日分 ・じゃがいも5kg 1.5ユーロ(200円)←20kgの米袋くらいの量 ・ねぎ1本 10セント(15円) ・ワインビネガー1瓶 99セント(150円)←いつまでもなくならない ・卵6個 97セント(150円) ・ほんだし ←日本から持ってきた ① 小麦粉とほんだしを入れたボウルにじゃがいもを1個すりおろす。 ② ①に水を加えて混ぜる。 ③ ねぎを小口切りにして②に加えて混ぜる。 ④ 卵を1つ入れて混ぜる。 ⑤ フライパンで焼く。 ⑥ ⑤にワインビネガーをふりかける。 完成。 ワインビネガーは酢のような味がする。 決しておいしくないが食べれないほどまずくはない。 本当はしょうゆが良いが、こっちでかうと高いので買っていない。 本体自体の味は良いのでこれを常食している。 ![]() [手作りパン] -材料- ・小麦粉1kg 35セント(50円)←3日分 ・塩750g 1.5ユーロ(200円)←いつまでもなくならない ・マーガリン500g 55セント(70円)←10回分 ・イースト菌8袋 2.07ユーロ(250円)←16回分 ① 小麦粉と塩、イースト菌を入れたボウルにマーガリンを加えてよく混ぜる。 ② ①に水を加えてよく練る。 ~放置~ ③ 膨らんだらもう一度よく練る。 ~放置~ ④ 好きな大きさにちぎって焼く 完成。 何度か試行を重ねるうちにおいしいパンができるようになったのでもうパン屋さん通いはやめてこれも常食としている。 本当は強力粉を使うのだろうが高いのでおこのみやきと同じ小麦粉を使っている。 昼食も極力外食は控えているので食費はだいぶかからなくなった。 雨の月曜日。
月曜の授業は午後から始まる。 ルーズなパリ人にあきれながらも週末明け最初の日はゆっくり起きられるカリキュラムには感謝してしまう。 これは日本人も見習っても良いのでは、なんて重い頭を抱えながら思ったりして。 夢を見た。 岩手の明け方。 私は実家で寝ていて、 地震が起こる。 大きな横揺れ。 うちは90度倒れてしまう。 どうしようと考えていると父が私の枕元に現れて 「つぐみ、起きろ! 5人でうちを元どおりに起こそう!」 と言った。 「でもうちらだけの力じゃ無理だよ!」 と口論しながら表に出る。 父はまだ家族だけで何とかしようとするので、 すっかり横倒しになってしまった家を見ながら私は 「これはクレーンを使って、それからうちらだけじゃなく他のひとの力も借りないと無理だ」 と話すと 父は 「でもうちはそんなお金がないから自分たちでやるしかないんだ」 と言う。 そこで私は今はもう父の退職金やら保険金やらでお金がいっぱいあるはずだと伝えようとして、ここに父がいることがおかしいことに気づく。 「おとうさん、もう死んじゃったよね?」 と言うと、父はばれたか、という顔をした。 とりあえず父はそれ以上家族だけで何とかしようという話はやめて、ふたりでうちの中に戻ることにした。 戻りながら父は話した。 「お守りを持っている」 青い大きな立派なお守り。 「でも左手には持てないんだ」 と父は言う。 その左手をちらっとみると 何度か持とうとしたのか、左手の手のひらは焼けたように白くなっていた。 玄関を開けうちの中に入ると、柱の至るところに小さな大黒様のような置物が金色に輝いていた。 母と兄、妹は居間に集まっていた。 「おとうさんがここにいる」 と父を指差しても、みんなみえていないようだ。 父を隣にこれまでの父とのやり取りを話し始めると、なにやら父は私のつぼを押してきた。 うまく話せない。 結局最後まで話せないうちに私は目が覚めた。。。 この話を母に話したら、 最近日本では地震が多いと教えてくれた。 東京の下に新しいプレートが見つかったとも。 天変地異は人間の手では防ぎようのない災害だけれど、日本に数多くいる神々に救いを求めることはできるかもしれない。 うちのなかにたくさんあった金色の置物が輝きを失わないように、いつもうちのなかやまわりをきれいにしておくように、彼らの存在を忘れないようにと家族に伝えるとともに、日本に大きな災害がやってこないことを願う。 ![]() これは我が学園の創設者ジャン・ピエール・フレリモンがメークした1930年頃の流行メーク・・・ さすがにこの日、クラスメイトたちは私がこのまま外に出ようとしたら止めた。 -特殊メーク特集- 日本では決してお目にかかれない興味深いメーク術満載。 ![]() エアブラシという技法を披露するアーティスト(名前不明)。 ![]() この蛇柄は網タイツを利用してつくる。 彼は数分女性用の網タイツを頭からかぶらされるという屈辱を耐えた。 ![]() SCAR(スカー)という技法。 つくりかたはヒミツ。 ![]() 細かく見える縫い目はホッチキスで。 イタそ~!?
英語が堪能な方々は言葉の端々に"You know..."をつける。
日本語で言うならば「ほら・・・」とか「あの」とかそういうただの口癖なのだろう。 これにいちいち"I know!"と答えなくなっただけましか・・・ -フェスティバル- 2度目のStageをやった。 しかし今回は研修というよりはお祭りに参加したという感じだった。 内容は癌専門の病院の患者さんや来訪者に楽しいアートをしてあげる、というものだった。 ![]() 病院の入り口で顔や手にハートマークを描く。 こんな日向に長いこといたら夏が来る前に真っ黒になってしまう・・・ 実際仕事をしたのは1時間ほどで、午後はなぜか太鼓のリズムに合わせて踊りながらパリ中を練り歩く。 ![]() 今朝までディアンたちと一緒にいて、このボランティアが終わったら自分の部屋でひとり静かに過ごそうと考えていたのに、夜にはチャリティーコンサートが行われ、協力した私たちはVIP席でそれをみられるという。 これを見ずに帰るのももったいないので行くことにしたが、コンサート会場に入るためには始終太鼓たちと一緒に数時間練り歩かなければいけない! 重たいメーク道具を抱えながら疲労感に満ちていたが、ディアンはフランスの「ミュージックステーション」のようなそのコンサートにぜひ行きたい、でも終わる頃にはもう帰りの電車がなくなっっているので私のアパートに今夜泊めて、と言ってきた。 ・・・・・・ 必然的に2時間ほど踊り歩き、その後2時間ほどステキな音楽を聴きながら踊り、20:00過ぎ、ケンタッキーフライドチキンを買い込んでようやくアパートに戻ってきた。 予想外のすばらしい経験に身はぼろぼろ、心は満足。 週末にディアンの家に招待され、パリの南に位置するOrleans(オルレアン)という町に滞在した。
パリからTGVという電車で約1時間、そこには静かな住宅街があった。 駅からもさらに離れたアパートの一角にディアンと彼女の旦那さんのカリーラは暮らしている。 ![]() パリと違ってとっても静か。 彼女の家に2泊した。 最初この話をディアンにされたとき、私はパリでの初旅行にわくわくするのと反面、まる2日間も英語とフランス語のみで話し続けられるのか、という不安があった。 なんにせよ良い経験に違いはないので二つ返事でOKした。 ディアンとカリーラは結婚2年目の夫婦。 カリーラはエンジニアとして働いているらしい。 ディアンは言った。 「彼の仕事をしている姿をみたとき、スーツ姿がなんてセクシーで、てきぱきと仕事をこなしている姿はなんてりっぱなんだろうと惚れ直したのよ」 朝から晩までこの夫婦と一緒にいて、オルレアンの美術館に行ったり年季の入ったホテルをのぞいたり、ふたりのお気に入りのトルコ料理をごちそうになったりして、私たちはたくさんの写真を撮った。 ![]() 古いけれど豪華な装飾のホテルの内部をのぞかせてもらった。 昔は誰かのお屋敷だったらしい。 ![]() とってもステキな関係のふたり。 ![]() フランス語しか話せないカリーラも知っている英語と身振りで私とコミュニケーションをとってくれた。 ディアンとは以前のような会話の食い違いも殆どなくなって、彼女とは学校のこと、メークのこと、家族のこと、料理のことなど、たくさんの話ができた。 ![]() パリの日が落ちるのは遅い。 21:00過ぎでもまだ明るい。 だいたいいつもまわりが暗くなる前に部屋に入ってしまうので、めったに夜景をみることはない。 この写真はクラスメイトのcocoと飲みに行った帰りに初めてみた生エッフェル塔のライトアップ。 -マダムとマドモアゼル- 人名に「~さん」づけをすることはない代わりにムッシュー、マダム、マドモアゼルを使い分ける。 これのなんとやっかいなことか! 男性と思われる人にはムッシュー。 しかし男性なのか女性なのか判断しづらい人にはどれを選択すればよいのか? 既婚者にはマダム。未婚者にはマドモアゼル。 ではニューハーフには? だれかれかまわず「~さん」づけで済む日本はらくちんかも。 英語だと、最近では既婚未婚を区別する必要がないようにMs.(ミズ)という呼称ができたようだが、フランスでは「マダム」と呼ばれて一人前の女性、という考え方らしく、結婚の有無を知らない場合は「マダム」とするほうが良いらしい。 日本人はいつまでも「お嬢さん」と呼ばれたいから全く逆である。 フランス人は敬意を表して私に「マダム」をつけてくれるが、 私には 「そこの奥さん!今日大根安いよ!」 と言っている様に聞こえてしまう。 毎日必ずパン屋さんに行ってバゲットを買わないと気がすまなくなってしまった。
毎日ご飯を食べないと気がすまない、とは全く思わなかったのに。 日本にいたときはご飯がなければどんべえとか食パンとか、それでよかった。 なぜだろう? 今日ははるさめスープをつくったのにやっぱりものたりなくて、結局パン屋さんに走っちゃいました。 -Stage(スタージュ)- Stageとは日本でよく言うインターンのこと。 研修という名の下、無収入でメークの仕事をする。 この留学の目標のひとつは、このStageをぜったい経験する!ということだったので、お話をもらったときはほんとにうれしかった。 今回のStageは、白黒写真で撮影を行うのでそのメークを施してください、という使命。 約束の時間に現場に向かうとそこにはやさしいマダムと大勢の女の子たちがいた。 このマダムがフォトグラファーだった。 想像していた神経質そうなフォトグラファーとは似ても似つかないおもしろいおばさんだった。 マダムはフランス語しか話せなかったが周りにいた女の子たちは英語を話してくれたので助かった。 私が分からないフランス語は彼女たちが英語で伝えてくれた。 本日はこのうちのひとりがモデルだったのでさっそくメークに入る。 私は長らく忘れていた。 メークをされることを楽しみにしているひとがいるということを。 モデルの子は初めてモデルになるらしく、メークされるのも初めてだと話した。 周りにいた子達もアーティストがどんなテクニックを施すのかをおもしろそうにみていた。 それが私にメークアップアーティストとしての自覚と自身を与えてくれた。 ナチュラルメークを、という希望だったが、だれでもやっていることだけだと感動が少ないかなと思ったので、「つけまつげ」というテクニックを試してみた。 予想以上の好反応! つかみはOK。 ![]() 最初はカジュアルなファッションでの撮影。 とってもキュートなべネッサ26才とマダム・パスカル。 マダムはモデルの気分を盛り上げるのが上手。 ![]() 次にドレスアップをするというのでメークチェンジと一緒にヘアメークもしてあげた。 撮影終了後、彼女たちは予想外の依頼をしてきた。 今日の撮影の目的は、モデルのベネッサが今月末に結婚式を挙げるので、その前におともだちと一緒にモデル気分で撮影を行う、ということだった。 その結婚式当日、私にウェディングメークをお願いしたいと言ってきた! おともだち数人もメークとヘアをお願いしたいと! 初のStageが大成功だっただけでも万々歳だったのに、その後の予約までいただけた。 ほんとうはメークアップアーティストという仕事の必要性に長いこと疑問を感じていた。 おんなのこならだれでも自分でできちゃうものだし。 でも今日、メークをされてとても喜んでいるひとをみて、なんて楽しい仕事なんだろうと改めて思った。 同じ喜びをもっと多くのひとに感じてもらえたらどんなにすてきだろう。 とりあえず今日目標のひとつを達成したので次の目標を考えよう。 まずは彼女たちを再来週の金曜日に最高にきれいにしてあげること。 ![]() ここには日本人なら誰でも写真に取りたくなるような建物がどこにでもある。 どこにでもあるのでどこを撮ればいいのかわからなくなる。 この建物はそんななかでもひときわ美しかったので撮ってみた。 なんのための建物かはわからない。 パリは今日も快晴です。 -滞在許可証- パリに来て1ヶ月、今日滞在許可証を取得することができた。 取得するまで数ヶ月はかかるだろうと覚悟していたから、わりとあっけなかった。 今回はこれの取得までの流れについて。 必要なもの。 ① パスポートとビザ。 それぞれのコピー。 ② 入学証明書とそのコピー。 発効日が古いと新しいのをもらってこいと言われる。 ③ アパートの契約書とそのコピー。 ④ 残金証明書とそのコピー。 この証明書を取得するためにもパリの銀行に口座を開設しなければならない。 下記の銀行には日本人がいて各対応をしてくれる。 CREDIT LYONNAIS (クレディ・リヨネ) Agence PYRAMIDES (ピラミッド支店) tel: 01.44.58.94.33 ※予約必須 残金は2,500ユーロほど必要らしい。 ⑤ 戸籍抄本の仏翻訳されたものとそのコピー 日本から戸籍抄本を持ってくる。パリに到着したら即日日本大使館に行き、在留届を申請すると共に翻訳をお願いする。3日と9ユーロがかかる。 ⑥ 証明写真3.5×4.5cmくらいのもの1枚 ↓ 学生用申請窓口へ行く。 職員はフランス語で話しかけてくるが、英語も話せる。日本語は話せないと思う。 受付で、 「ジュ・ヴドレ・ディマンド・ドュ・ティトュ・ドュ・セジュール.」(滞在許可証を申請したい。) とか言うと、必要事項を記入するフランス語表記の用紙を数枚よこす。 記入して提出してしばらく待つとOMI(オミ)への召喚状をくれる。 要するにこの場だけでは許可証はもらえない。 別な日に別な場所へ行かなければならないのである。 約1週間後に予約を取ってくれる。 ↓ OMIに行く前に55ユーロの収入印紙を購入しなければならない。 OMIのある場所の一番近くにあるタバコ屋でしか売っていない。 ↓ OMIで受付を済ませたら 身長・体重・視力チェック、レントゲン撮影、問診、血圧チェック を受け、その後その建物内にあるLe PREFECTURE de POLICE (警察!?)へ。 取得!! OMIでも英語を話してくれる。問診を行ったドクターが「予防接種」という日本語だけ知っていた。 私はこの申請の同行サービスをアポロ不動産に130ユーロでお願いしていた。 申請当日、スタッフが同行してくれてもらった記入用紙の書き方を教えてくれたので助かったが、その日オフィス内が停電のため翌日に出直すように職員に言われ、その日の作業はこれで終わった。 同行サービスもこれで終わった。 ひとりで手続きをするのになにか分からないことがあったらいつでも電話するようにと言われたが、手助けが必要なほど分からなくなることはなかった。 ちなみに130ユーロは15000円くらい。 同行サービス30分で15000円・・・ 風俗よりも稼げるんではないでしょうか。 これから滞在許可証を申請する方達へ。 ひとりでも大丈夫です。 もしくは現地で知り合ったおともだちに100ユーロくらいあげて始終面倒を見てもらった後、一緒に夜遊びにでも出かけてください。 ![]() 今週一週間は学校がお休みだった。 一週間も何をしよう・・・と休み前は思っていたのにもう休み明けになる。 ひとつひとつの用事をこなすのに倍の時間がかかるのであっという間に一日が終わるかんじ。 ポンピドゥーセンターに来たのに今日はお休みだったので、ふらふらと歩いていたら大きな教会があった。 わくわくしながら中に入ってみる。 中はこんな感じ。 ミサの最中だった。 正面から入ってくるお日様がキリストの後光のようにとてもまぶしくふりそそぐ。 こういう思いがけない発見がまた楽しい。 -トモダチ- ともだちができた。 ディアンという、ブラジル人の母親とアフリカ人の父親をもつ女の子だ。 彼女の母国語はフランス語だが、ボストンのアメリカンスクールにも入っていたため英語も話す。 彼女はなぜか私を気に入ってくれた。 だが私はフランス語もさることながら英語力もいまいちで、よく間違いをする。 あるとき私の父が長いこと入院しているという話題になったとき、ディアンは "I'm sorry." と言った。 これはまぎれもなく「お気の毒に。」という意味だが、とっさに私はいつもの謝罪の「アイムソーリー」と勘違いして "NO!!" ・・・と答えてしまった。 すぐにまちがいに気がついたが、会話は次に移っていた・・・ またあるとき、なぜか彼女は学校がお休みだというのにわざわざ私に会うためだけにパリまで出てきてくれた。 「私の家はここから15分くらいだ」 と伝えるとディアンは 「私の家は1時間30分もかかる」 と言ったのに対して私は "OK! Good!" ・・・と意味不明の受け答えをしていた。 その後まちがいに気づいたが、話は次の会話に変わっていた・・・ その後ふたりは私のアパートに到着し、ゆっくりとお互いのことを話し合っていたときのこと、ディアンのボーイフレンドの話を彼女がしていたとき、しきりと「ヒトミ」、「ヒトミ」と繰り返す。 あぁ、これが彼の名前なのだ、変わってるけど・・・ なんて思いながら相槌を打ち、 「それで『ヒトミ』がそうしたのね?」 と聞き返すと彼女は "?HITOMI?? What?" 彼女がしきりに言っていた「ヒトミ」とは、"He told me,"だった・・・ 私と彼女の会話は時間がかかる。ひとえに私が正しく理解するまでに時間がかかるからだ。 ため息をつきながらもディアンは私がわかるまで何度も何度も繰り返し話してくれる。 それでも彼女は変わらずに話しかけてくれる。 そして私はまたずれた受け答えをするのだろう。 貴重な大事な存在に せめて誠意だけはまっすぐに届きますように。。。
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